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日々の便り

 

あるいは、賢者の盲目。

今晩は、久々に哲学のお話を。以前ご紹介したサンデル先生の本、実は随分前に読み終えていたのですけど、後半があんまりだったので何か見落としているのではと思い、検証するのに時間がかかってしまいました。
結論から言いますと、何も見落としていませんでした、はい。

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本の刊行の順序からすると、こちらの方が「それをお金で買いますか」より早いので、恐らくサンデル先生への評判はこちらの本で既に固まってしまっていたのでしょう。まぁ先入観であの本を否定する人が多かったのも、ちょっと頷ける展開でした。

サンデル先生は自らも認めている通り、コミュニタリアンと呼ばれる事が多いようです。要するに共同体主義者という奴ですね。
本の後半ではこの共同体主義寄りの議論が展開されて行くのですが、これが面白いくらいに的外れなのです。これまであれほど冷静に物事を分析していたサンデル先生が、相対する視点からの分析を捨てて、一気に主観に傾く様は、ある意味実に興味深いですね。

実例を挙げましょう。最も分かり易いのは、電子版1512ページの「不正な大義に対する忠誠であってもそれは敬服に値する美徳である」という主張。
もしもこの主張が正しいと言うなら、ならばアウシュビッツの所長は敬意に値するし、ゲシュタポは讃えられるべき忠誠を示したという事になりますね。
また、南京大虐殺を行った(とされる)兵士達は敬意に値する英雄という事になります。

ところが、一方でサンデル先生は本文中でも直接的に彼等を否定しています。彼等の行いは英雄的忠誠かとだけ問われれば、彼は即座にそれを否定するでしょう。なにしろ、古典的キリスト教に立脚した保守的な思想の持ち主ですからね。

そもそも、先生は「コミュニティ」の定義を行っておらず、その拘束範囲や序列は都合よく揺れ動いてしまっています。
前述の発言が飛び出すのはロバート・E・リーの一件についての議論の中でですが、ここに、先生のコミュニティに対する主観性の一端が見えます。

リーは南部出身の軍人で、北軍の将校であり、南北戦争において北軍の指揮を執る事を拒否して南軍に下った挙げ句、南軍側で指揮を執ったという人物です。
ここで、彼は家族に銃を向けられないという理由で北軍を裏切る訳ですが、それをサンデル先生は道徳的に正しいと捉えているのですね。

これは言い換えれば、忠誠を誓った筈の軍への忠義より、家族への愛情の方が勝るのは正しいという言い分です。むしろそれは家族への忠義であり、讃えられるべきだと。
しかしこれは、いかにも自由主義が染み付いた、アメリカ人的な思考である事は、日本人なら考えずとも気がつきますね。

そう、日本人の感覚で行くと、これは私情を優先して裏切りを働いた、恥ずべき行いです。世界的にも忠義の手本とされる武士道や騎士道は、このような行いを厭うべきものとしており、それが国際的にも認められない個人主義である事は自明。
ところが、サンデル先生は自ら否定している筈の自由至上主義の感覚で、コミュニティへの「忠誠」を語り、つじつま合わせとして家族をより拘束力の高い「コミュニティ」であるとしてしまいました。

これと全く同質の誤りを、フランスのレジスタンスの例でも、バルジャー兄弟の例でも繰り返してしまっています。
しかし考えてもみてください。社会規範より家族愛が優先されて良いなら、法治など可能でしょうか。答えるまでもありませんね。それが許されるなら、国家というコミュニティは瓦解するのです。

また、物語的云々という部分も、もはや意味不明でした。簡単に言ってしまえば、組織に所属する個人の責任範囲は、組織の歴史に支配されると言ってしまえば良いでしょう。何かをしでかした組織にいるのなら、事件に関係なくとも同罪だという考え方です。

この部分も簡単に反駁可能です。例えば、ドイツに中国人が帰化したとして、ではその中国人はホロコーストの責任を問われるべきなのでしょうか。
サンデル先生は、この責任の存在を人間は感覚的に認めていると主張し、その根拠として「同国人」の醜態に恥ずかしさを感じる事を挙げています。
しかし、ならば、アメリカに帰化した元日本人は、日本人の醜態に恥ずかしさを感じない、ということになりますね。そんな事があるでしょうか。

残念ながら、サンデル先生が感覚的、あるいは生理的に国家というコミュニティの縛りを証明しようとしたその例は、逆にそんな縛りなどないことを例証してしまいます。
いわゆる同国人の醜態に恥を感じるのは、主に外見的に判別可能な特徴によって、自分が同質のものであるとみなされることによるのだという単純な事実を、どうやら先生は見落としてしまっているようですね。

私が思うに、この後半三分の一の主張は、むしろ省くべきだったのではないかと。というのは、その後導かれる結論の根拠として、この共同体主義の主張は不要だからです。
この本自体の結論は、恐らく電子版1708ページからの部分でしょう。
つまり、公共生活に道徳観、宗教観を持ち込み、活発に議論する事・・・極力避けられてきたその事を、むしろ活発に行うべきなのではないか、ということです。

この主張には、理論としては賛成出来ます。ただ、現実問題、それが可能とは思いません。何故かと問われれば、まず第一に、そもそも「議論」できる人間など希少価値だからです。

例えばサンデル先生の著書に対するあげ足取りに等しい感情的な批判を見れば、多くの人にとっての議論の形というものが見えてきます。そこには、冷静に相手の主張を聴く事も、まして分析する事も含まれません。多くの人にとって議論とは、大声と早口で相手を圧倒し、一方的に勝利宣言をすることでしかないのです。

そんな状態でデリケートな問題をテーブルに載せれば、どうなるでしょうか。答えは歴史が証明している通りですね。だからこそ、人類は現状、それを避けるという選択をしてきたのではなかったでしょうか。
理想や理論として正しいことを正しく実現出来るのは、理想的な思考力を持ち合わせている人間の間に於いてのみなのです。そして社会の圧倒的大多数は、それができません。

結局この壁が、現在の哲学の限界なのだろうなぁと。私は工学屋なので、理論には敬意を払いますが、実現出来ない理論が現実世界に影響を及ぼし得ない事も知っています。
その理論を自己満足で終わらせず、本当に世界に問いたいのなら・・・なにより大切なのは、それをどうやって行うのか・・・その「方法」を示す事なのですよね。
哲学に求められている次のステップは、まさにそこなのではないか。そんな事を考えさせられる本でした。


カントさん、それは自爆です。

昨日に引き続き、マイケル・サンデル先生の本を読んでいます。相変わらずカントのところで引っかかっておりまして。どうもこう、カントの主張は時々強弁の匂いがプンプンするのですよね。まぁリバタリアンよりはマシなのですが。

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今日一番引っかかったのは、「嘘をつくのは道徳的に悪だが、あえて誤解を招く言い回しを使う事は悪ではない」という主張の部分。
思考実験用に提示されたケースは、ある人の命を狙うものが戸口に来ていて、自分は追われている人をかくまっており、かつ、その人がここにいないかと訊かれたときの対応です。

「いない」と嘘をつくのは悪である、というのがカントの主張。まぁそれは良いでしょう、彼らしい酷く機械的な判定です。それは良いのですが・・・それが人道に反するという批判に対して、言い逃れを試みたところから論理が破綻して行きます。
曰く、「近所で見た」と言って追っ手を帰らせるのは嘘ではなく、あえて誤解を招くようにしているとはいえ真実の一部なのだから、悪ではないというのですね。

嘘はついていない。結果として騙されるのは相手の責任であって、嘘をつこうとしてそう言ったのではないのだから、「いない」と言うのとは違うというのです。
サンデル先生、よせば良いのに、ここで似たような詭弁でかつてカント自身が危機を逃れた実例を提示します。

その実例において、カント自身、誤解を誘導したことは認めています。しかし、嘘はついていないのでOKだというのですね。
ここでサンデル先生は弁護側につきます。問題とされるのは動機であって結果ではない。正しい動機に基づいた「間違いではない」行動の結果、相手が間違ったのなら仕方ない。というわけです。これは直感的に言って、詭弁ですね。

しかし、直感以上の論証も可能です。ここで、彼等は「正しい動機」と言いました。これは「嘘をつかない」という決定のことであるようです。
友人が助かるかどうかとか、自分が助かるかどうかといったことは嘘をつくかどうかとは関係なく、純粋に嘘をつくかつかないかという意思決定が正しい方向に行われるなら、それは道徳的に正しいとでも言いたいのでしょうね。

このある種の叙述的トリックの肝は、「嘘をつく」代りに行われた決定が、「言葉を選ぶ」ことであると思い込ませることにあります。
確かに情報の取捨選択自体は道徳的に誤った事柄ではないと言えるでしょう。しかし、「情報の一部を語る」という行為は、無作為に情報を選択して行われる訳ではありません。情報は意図的に選択されるのです。

いえ、それどころか、出力する情報の選択自体は、嘘をつくかつかないかとは全く関わりなく、常に行われているのです。つまり、「言葉を選ぶ」のは動機ではなく、手段としての行為でしかないのですね。これを動機と思い込ませる事が出来れば、彼等は無罪放免。しかし、そうは問屋が卸しません。

このとき彼等が下した判断は、実際には「誤解させるか」「誤解させないか」です。そして「誤解させる」が彼等の選択であり、動機なのです。その動機に基づく行為としての言葉の選択があるのですね。
逆に、「誤解させない」という動機であったなら、不要な情報は省き、問いに対する出来る限り明確な返答をするために、やはり言葉を選ぶ事になったでしょう。

そう、いずれにしても言葉は選ばれるし、記憶の全てを語る訳ではない。情報のフィルタリングは常に行われており、動機に合わせてフィルタが替わるだけの事なのです。

逆方向から彼等の主張を否定する事も可能です。今度は、「言葉を選ぶ」が手段ではなく動機だとしましょう。その場合、「嘘」の定義はどうなるのでしょうか。

例えば「いない」という返答は嘘だと彼等は決めつけました。しかし、情報の一部を隠す事が行為ではなく、目的はどうあれ正当な「動機」であるとするならば、「長くは居ない」の「長くは」を隠しても良いのではありませんか。
その場合、「いない」は嘘ではなく情報の一部です。「今、ここに居ない」とは言っていないのですから、「いない」が今現在の事と相手が勝手に判断したのだと言い張ることができるでしょう。詭弁ですけれど。

あるいは、「ここ」を玄関先と勝手に限定するならば、「ここにはいない」と言っても嘘にはなりませんよね。あえて「ここ」の範囲を相手に伝えないことで、都合の良い誤解を招くという手法です。
そして皮肉な事に、カントが自らの窮地においてとったのは、まさにこの手法でした。ある単語の適用範囲をあえて述べず、恣意的に解釈する事で、自らの宣誓文の効力の失効を主張したのです。

これはもう、自爆と言って良いでしょう。語るに落ちるとはこのことです。もしそれが「嘘ではない」と認められるのであれば、嘘というのは真実のパーツを一切含まない虚言の事のみということになってしまいます。それは正しい定義と言えるでしょうか?

逆にそれが嘘であると定義されるのであれば、カントは嘘をついて助かろうとしたことになりますし、思考実験においては嘘は悪だと言いつつ、嘘をつかなければならない状況が存在することを認めてしまった事になります。どう転んでも旗色は悪いですよね。

もちろん、彼等の主張に少なからず無理があることは、サンデル先生も認めています。これが先生の凄いところなのですよね。自分の主張は正しいと強弁を続けるのではなく、「こういう風に弁護してみたが、どうだろう。納得出来ないかもしれないが・・・」というスタンスなのです。

そして更に言うと、この一件自体は本の論旨とはあまり関係がなく、単なる脱線です。本の内容はこのあとカントを離れ、社会契約論に移って行くのですが・・・ここもまた、色々と首を傾げる内容がありまして。
あまり難しい話ばかりしてもなんですので、哲学の話題は一旦このあたりで。次は読み終えた辺りで、感想を書こうと思います。


これからの「正義」の話をしよう

電子書籍の利点と言えば、なんといってもまず場所をとらないこと、そして次に軽い事。特にその特徴は、こういった分厚くて大きい本を読みたい場合に有り難いものです。

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この本、以前ハードカバーを買っていたのですが、さすがにちょっと通勤中に片手で持って読むのは厳しくて、積んだままになっていたのですよね。かといって裁断するのもなんだか気が乗らないなと思っていたら、iBookstoreで電子板が発売されました。
そんなわけで、「それをお金で買いますか」に引き続き、哲学の本を熱心に読んでいる今日この頃です。

私がサンデル先生を知ったのは、NHKの「白熱教室」という番組を見た事がきっかけでした。なによりもまず、彼の議論を誘導する司会者としての技術、思考を放棄しようとする学生に対して、決して攻撃的ではない仕方で施す軌道修正や指摘の技術に感嘆したものです。

この本の内容は、あの番組でやっていた授業の内容をテキストにまとめたような感じですね。番組では学生達の素っ頓狂な受け答えを我慢しなければならなかったのに対して、本ではその必要がありませんから、論旨により集中出来るのが有り難いところ。

本の主題はタイトル通り「正義」。ただし、一時期メディアやネットでもてはやされたような「それぞれの正義」なんて甘ったるい逃げ口上の話ではありません。リアルでシビアな、現実に即した正義の定義を探求するのがこの本の目的のようです。
まだ最後まで読めていないので断言はできませんが、「それをお金で買いますか」は正解をあえて特定しない本だったのに対して、こちらはどうもなにがしかの結論に向かって議論を進めて行っているように見えますね。

読み進めて行くと、正義の在り方を巡って、様々な主張が登場します。功利主義、リバタリアニズムと来て、今読んでいるのはカントの哲学の解説。功利主義やリバタリアニズムほど極端ではないこの哲学は、一見して非常に理に適っているように見えるのですが、しかしやはり、よく考えると首を傾げてしまうところがありますね。

特に違和感を禁じ得ないのは、カントは意思や英知といった知性に属するものを、物理的な構造や経験というデータから切り離された、至高の存在として隔離しようとしている点です。
しかし、言葉によらない思考はありません。言語は後天的に得る能力である以上、言語を使っている時点でもはやその人は経験による制約を受けているのです。
恐らくカントは、言語など思考のためのツールに過ぎず、いわば事象の記号化であるとでも考えていたのでしょう。そのことは、国籍や環境が違っても、「道徳法則が人によって異なる事はない」と考えていることからも明らかです。

ところが、言語は単なる事象の記号化ではありません。言語体系によって表せない概念もあることは、現在では広く知られた事実です。
それどころか、普段どのように言葉を用いているかということだけで、同じ言語を操っているもの同士でも思考の仕方は異なってしまうもの。話し方は、人格なのですよ。
彼の考える道徳法則の一致は、同じ言語の使用者で、同程度の思考能力がある人同士の間でしか成立し得ないのです。

もちろん筆者はカントを是としてそれを以て正義を論じようとしているわけではなく、論じて行く上で知っておく必要のある哲学のひとつとしてこれを解説しているだけなので、矛盾が見えても全く問題はないのですけどね。
しかし、カントが試みた厳密な「自由」の定義はなかなか面白いですね。あらゆるケースに適用出来る考え方ではありませんが、多くの場面で確からしく見える事は否定出来ません。
さすがは、現在でも強い影響力を持つ哲学的概念といったところでしょうか。

それにしても、読んでいてつくづく思ったのですが、やはり私は工学系、構造論至上主義者のようですね。
他の概念の世界でエミュレーションするのも得意ですけど、現実から乖離した架空のケース設定は必ずと言って良いほど物理的事実に矛盾するので、そこを指摘したくてムズムズします。

例えば、序盤で登場する暴走する電車の話。電車がハンドルでレールを選択出来るというのも初耳ですが(笑)、列車の質量を人間一人の質量で止めるのは不可能ですし、仮に止められたとして、その距離で停止されようものなら中の人間が死にます。
それだけではありませんよ。間違いなく、その象のような体重の持ち主は跳ね飛ばされて作業員達にぶつかるでしょう。多分その方法は誰かを救うどころか、一番死者が多いでしょうね。

論旨とは全く関係のないあげ足取りなので、そんな事を考える方が馬鹿なのですが、どうしたって反射的にそういう計算が働いてしまうのですよね。
もうこれは、体に染み付いた習性なのだろうなぁと、苦笑しながら読み進めています。


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