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日々の便り

 

先生と僕

おはようございます。例によって晩は倒れてしまったので、今朝は3:50くらいから起きています。夕食ですか? そういえば、そんな習慣もありましたっけね。大丈夫、このところ一日一食という事も別に珍しくはありませんから。それですら人並みには食べないのに、それでも痩せたりしませんしね。これぞまさに生命の神秘(笑

まぁ冗談はともあれ、折角早起きしたのにただドタバタと出勤の準備ではあまりに空しいですし、かといって今更寝直す訳にも行かず。しかし、文学のお話をするほど時間と気持ちに余裕も無く・・・まったくもって、半端でいけません。

というより、そもそも難しい事なんて考えたくないのですよね。頭に栄養が行っていないのでしょうか、なんだか考えるのがもう面倒で。できることなら布団を被って一日怠惰に過ごしたいものです。「我が内なる怠け者の声を聞け!」とか、言ってみたいものですねぇ、ほんと。

そんなわけで、せめてもの気晴らしにレコードを聴きつつ、今朝は漫画のお話でも。

先生と僕① (―夏目漱石を囲む人々―)
タイトル:先生と僕 ー夏目漱石を囲む人々ー
著者  :香日ゆら

夏目漱石とその弟子や友人達のエピソードを4コマ漫画にまとめた作品。表紙絵はかなり微妙なので読もうかどうしようかだいぶ迷ったのですが、サンプルを読んでみたらとても面白く、気がついたら次々と購入して読んでしまいました。

絵は好みか否かと言われると完全に射程外・・・と思っていたのですけど、内容と合う絵というのはあるものですね。読んでみると、むしろこの絵だからこその良さというのもあるのだなと、納得させられます。

形式は四コマですが、いわゆるギャグ系の四コマほど明確な起承転結があるわけでもなく、笑わせるために創作されたギャグも一切ありません。紹介されているエピソードは専ら漱石の書簡集および、漱石を追悼する弟子達の随筆集でカバー出来るもので、そういった資料を網羅している人にしてみれば、ネタそのものに新鮮味は無いでしょう。

実際、私もほとんどのエピソードを知っていましたので、読んでいてこれは驚きというような発見は、ほとんどありませんでした。しかし、だからこそこの作品は凄いとも言えるのです。なぜなら、変な捏造を一切していないから。

この手の作品は多くの場合、テーマとなった人物に少なからぬ思い入れのある人の手によるものです。そうするとしばしば起こるのが、歴史的事実の改竄や無理な解釈の変更なのですね。歴史物は多くの場合、単なる歴史ドリームものに過ぎず、書き手の脳内妄想をあたかも事実であるかのようにひけらかすことが非常に多いのが難点。

ところがこの作品の場合、そういうところが全くありません。私が数々の書簡で読んだ通り、随筆で知った通り、資料で調べた通りの出来事が、漫画として再提示されて行くのです。これには非常に感心しましたし、だからこそ感慨深く漫画を楽しむ事ができました。

この作者は非常に多くの資料を抱えているようで、執筆にあたり、改めてそれらをくまなく調査し、事実を確認した上で作品を描いているようです。漫画には元ネタのエピソードが紹介されていたり、資料が示されていたり。都合上名前の表記を変更する場合も(当時は年齢ごとに名前が違う場合があったので)きちんと注釈を入れるなど、歴史事実に対する敬意の深さに好感が持てます。

本当の意味での漱石マニアが描いた、本当の漱石の姿。といっても、別に眉間に皺を寄せて読むような難しい内容かと言うと、全くそうではないのですよね。なぜって、漱石にしてもその弟子達にしても、実に面白い変人ばかりで、捏造なんてしなくたって充分楽しいのです。

作中紹介される、ほとんどギャグマンガとしか思えないような行動ややりとりは、実際に記録されている通りの事実。ある意味、漱石って存在がコメディだったのですよ。よくある捏造された漱石の姿なんて吹き飛んでしまうような、人間らしくて可笑しくて暖かくて、ときにしようもない漱石とその弟子達のエピソードに、思わず頬が緩みます。

漱石という人物に変な堅苦しいイメージを抱いている人がこれを読んだら、きっと驚かれる事でしょう。でも、創作ではないのですよ。創作されているのは世間一般の漱石像の方であって、この漫画の内容はあくまで事実なのです。そんなわけで、漱石について詳しい方にもそうでない方にも、是非とも読んで頂きたい作品でした。

それにしても、この作品を読んでいて再確認したのですけれど・・・私も、相当な漱石オタクですね。なんとなく、自覚はありましたけれど。

硝子戸の中

病人というのは実に閑なものですね。基本的に何かに集中することが苦手になるので、これといってできることがないのです。そうは言ってもずっと昏睡している訳ではありませんから、やはり退屈は感じるのですよね。そこで暇つぶしを探す訳ですが、音が頭に響くので映像系は無理。となりますと、古来からの由緒正しい病人の暇つぶし、読書くらいしかないわけです。

活字の良いところは、どこから始めてどこで止めても全く構わない、ということ。ほんの五分だけ本を開いて、疲れたら眠る・・・というようなことを繰り返しても、全く問題ないのです。まぁ、それは読む本の種類にもよるかもしれませんが、少なくとも随筆の類いならそういう読み方で構わないのではないでしょうか。

ところで随筆と言えば、漱石の随筆はもう全部ご紹介したものとばかり思っていたのですけれど、調べてみたところ、読んだものがまだ何本も残っていたようです。というわけで今日は、この作品をご紹介したいと思います。

○硝子戸の中
著者:夏目漱石
初出:1915年(朝日新聞)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card760.html
※リンクは青空文庫です

風邪で体調を崩して徒然と過ごしていた漱石が、何か書いてみるようにとの要請に応えて筆を執った、徒然とした内容の小品集。初回で漱石は体調を崩して以来の近況を書き、すっかり世間に疎いまま筆を執るため、忙しい人々の求めるようなものは書けない事を詫びています。

しかし私にいわせると、そういう忙しない毎日だからこそ、こういう文章が必要なのではないかと思うのですよね。刺激的な事件記事にしか興味のない人も少なからずいたでしょうが、しかしこの作品を喜んだ人もまた、少なからず居たのではないでしょうか。

第二回からは、彼の身の回りの出来事をテンポ良く綴っています。まずは雑誌関連の写真家のお話。漱石は笑わずに写真を撮った筈なのに、後日届いたサンプルはなにやら気味の悪い苦笑をしていた、というものです。写真を加工するのは近年の流行かとばかり思っていましたが、どうやらPhotoshopなどない大昔から、大胆な加工が行われていたようですね。そういえば確か、「野分」の中にも、写真加工についての言及がありましたっけ。

三回目から五回目までは、犬のヘクトーのお話。漱石の家では、猫の後で犬を飼っていました。このヘクトーについては別の作品の中でも言及がありますが、この三回で、彼が漱石の家にやって来てから死ぬまでのことをざっと紹介しています。ヘクトーの晩年の出来事はなんとなく猫のそれに似ていますね。といってもビールに酔って溺れ死んだ彼ではなく、実際に漱石宅に居た猫の方のことですが。

六回目から八回目までは、漱石のところへ身の上話を持ち込んだある女性のお話。具体的な事は描かれていませんが、どうやら漱石宅には時折こんな風に、自分の事を本にしてくれと話を持ちかける人が居たようです。漱石の作品のうち、「坑夫」はこういった類いの実話を背景を持つ作品だといわれていますね。

九回目と十回目は旧友のお話。樺太で校長をしている「O」というのは、太田達人氏のことではないかと思いますが、どうでしょう。横手中学校長を務めた漱石の友人で「O」というと、この方の事ではないかと思うのですが。

十一回目からは、漱石宅に押し寄せる迷惑な郵便や訪問者のお話。十四回目は昔話で、十五回目は講演の御礼の話。そして十六回目と十七回目は、床屋のお話です。この床屋のエピソードはどこかで見た覚えがあるのですよね、恐らく別の随筆にも出て来たのではないかと思いますし、また「夢十夜」に登場したあの床屋を思い出します。

十八回目はまたしても奇妙な訪問者の話。そして十九回目から二十一回目までは、漱石のかつての自宅周辺のお話です。漱石の昔話と言えばやはり他の作品にも登場していますが、彼がまだ子供だった頃の暮らしぶりを詳しく描いている作品は少なく、特に二十一回目の芝居見物の話は明治初期の市民生活の資料としても興味深いですね。

以降もそんな感じで近況やら昔話やらが散りばめられて行くのですが、漱石の母親や兄弟、家に出入りしていた人物や下女の事が詳しく描かれているため、漱石が好きな方はこの十九回以降は必読だと思います。兄の話は「道草」はじめ、幾つかの作品の登場人物と通じるところがありますし、二十九回に登場する下女は、もしかしたら「坊っちゃん」に登場する清のモデルなのではないでしょうか。

結びの第三十九回では、ある暖かい日の出来事を交えて、これまで綴って来た作品を総括します。寒々しい冬の景色に始まり、なにかと難しい話題の多かったこの作品集ですが、最後はうららかな雰囲気に。恐らく次の結びは、冒頭の風景描写を念頭に置いての対比だったのでしょうね。

“家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。”

漱石の作品を読み返すのは久しぶりですが、やはりなんとも良いものですね。文体としては寺田寅彦の方がずっと整っていると思うのですが、漱石の文章には漱石にしかない古雅な雰囲気があるのです。昔話が多いというのもあるのでしょうけれど、動きがあるのに静かなのですよね。そして、色彩豊かなのにどこかセピア色なのです。

この作品はそんな漱石らしさを存分に楽しめると同時に、彼の色々な作品に登場する人物やエピソードに繋がる逸話を読む事が出来ます。彼の創作の背景になったであろう彼の身の上話を知る事が出来るという意味でも、実に興味深い作品。漱石が好きな方には、是非一度読んで頂きたい一冊です。


イズムの功過

病み上がり二日目。昨日と比べると、体調はだいぶ良くなっているようです。咳は相変わらずですが、喉の違和感はほとんどなくなりました。この分なら今週末は、久しぶりに少し出掛ける事ができるかもしれません。久しぶりに部屋の掃除もしましたし、だんだん日常が戻ってきました。

電車内での読書も再開しています。とりあえず寺田寅彦の作品を読み進める一方で、まだご紹介していない漱石の作品を読み直してみたり。今日は漱石を二本読み直したのですけど、そのうち短い方の一本をご紹介したいと思います。

○イズムの功過
著者:夏目漱石
初出:1910年(東京朝日新聞)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card2314.html
※リンクは青空文庫です

いわゆる何々主義、というような形式のあるべき位置を説いた小品。こと日本人というのは型にはまりがちな傾向にありますが、型を意識するあまり自己の発展を妨げる事の無意味さを分かり易く解説しています。

お話はまず、「○○イズム」とはそもそも何なのか、ということから。漱石はそれを、ある事柄に関する無数の事実を束にして、頭の引き出しに入れ易くしたものと述べました。この点について異論のある方はおられないでしょう。事実、なにがしかの形式というのは形式が先にあるのではなく、似通った性質のものを寄せ集め、その共通した特徴を抽出して後の人間がまとめあげ、名付けるものなのですから。

それは多くの場合既存の何かを総称するために用いられる名前であり、どちらかといえば、それを用いて何かをしようという性質のものではありません。それで、漱石はそれをこんな風に批評しました。

“実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。”

また漱石は、イズムを「輪郭」であるとも述べています。それは緻密な中身をもっているものではなく、中身をもっている無数の事実から、輪郭を抽出したものであるというのです。故に漱石は次のように述べて、ある主義の型枠の中に自分を押し込める事の無意味さを説きました。

“過去はこれらのイズムに因って支配せられたるが故に、これからもまたこのイズムに支配せられざるべからずと臆断して、一短期の過程より得たる輪廓を胸に蔵して、凡てを断ぜんとするものは、升を抱いて高さを計り、かねて長さを量らんとするが如き暴挙である。”

とはいっても、漱石は形式を全面的に否定しているわけではありません。例えば数学の公式のように、過去から抽出され抽象化された形式が、未来に適用可能な場合もあることを認めています。この作品でそのような事例として漱石が意識したのは専ら自然現象についてのみのようですが、例えば音楽や工芸でも、「形式」が技法に直結する場合がありますよね。いわゆる様式美という奴です。

しかし、漱石がこの作品を書くにあたり、その対象として主に念頭においていた文学や思想といった分野では、「イズム」そのものにそういった具体的な効能がある訳ではありませんでした。そのような分野の場合、本来は自由に発展出来る筈の思考を形式に合わせてねじ曲げる事になる訳ですから、百害あって一利無しです。

ところが、人間というのは形式を好むもので、なにがしかの派閥に属したがる人が多いのですね。そのため、文学や思想の分野でも、「何々主義」なるものはしばしば一世を風靡するのみならず、同じ型にはまらないその他の勢力を攻撃したり排斥したりする事がしばしばありました。

このとき漱石が念頭に置いていたのは、当時思想界でもてはやされた自然主義に属する人達だったようです。しかし、当時の自然主義者に限らず、我が思想こそは真実なりと信じて疑わないばかりか、他者を打ち負かして自らの思想のもとに屈服させようとする勢力は、何時の時代もそこかしこにあるものです。

また、比較的「形式」に実用性が伴う音楽などの分野に於いても、形式至上主義に走って他者を屈服させようと弁舌を振るうものは後を絶ちません。そうした行為は無意味であるばかりか、彼等自身を周囲から隔絶させ、衰退させる要因にさえなるでしょう。ですから次の結論は、なにかにつけ形式を押し付けたがる全ての人にとって、大いに留意するべきものであると思うのです。

“人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、茫漠たる輪廓中の一小片を堅固に把持して、其処に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼らのために得策ではなかろうかと思う。”

世の中の人々がみなこの精神で暮らしてくれたなら、きっと世界はもっと平和になるでしょうにね。不思議なもので、形式を押し付けたがる人って中身が無いのです。例えば音楽なら、作曲出来ない人程曲の形式をとやかくいうものなのですよ。思想でもそうでしょう、本人には確固としたものがなにもないからこそ、形式に縋り、形式を異にするものを排斥せずにはいられないのです。

できることなら、そんな皆さんには是非この作品を読んでよく考えて頂きたいところなのですけれど、まぁ難しいのでしょうね。そもそも他人の言葉に耳を貸せるようなら、そんなことにはならないのですし。

草枕

近頃、漱石の作品を読み返していてつくづく感じるのですが、漱石の作品は少し時間を開けて、二回読むべきだと思うのです。特にあまり魅力を感じなかった作品は、後日改めて読んでみると良いでしょう。鍛えられ変化した視点と、既に筋を知ってしまっている事から生まれる余裕をもってもう一度作品を読んでみると、それまで煩わしいと思っていたところに、あっと驚くような素晴らしさがあったりするものですから。

まぁ原理的には、恋をすると景色が云々と同じですね。精神的な余裕の有無やそもそも期待している事の相違などにより、同じものの見え方が全く違ってしまうというのは、なにも映像だけの事ではありません。というわけで私は、この作品を読み返しつつ、その素晴らしさに唸らされています。

○草枕
著者:夏目漱石
初出:1906年(新小説)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card776.html
※リンクは青空文庫です。

とある画家の旅を描いた作品。作品そのものについてはそれほど語られる機会は無いかと思いますが、冒頭の一節は非常に有名で、現代でも様々な作品にしばしば引用されているようです。漱石に詳しくない方でも、恐らくこの一節だけは見聞きした事があるのではないでしょうか。

"智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。"


いわゆる社会というものの面倒臭さ、特に日本人気質の面倒さ加減をさらりと要約した名言ですね。なにもないところからこの一節を生み出したというだけでも、漱石のセンスには脱帽せざるを得ません。この作品は「非人情」という漱石独特の造語をテーマにした物語で、その解釈については色々と解説が試みられているようですが、簡単に言ってしまえば俗世のしがらみから解放された精神的態度、とでも言ってしまえば良いでしょう。

上に引用した冒頭の一節は、主人公が山道を歩きながらあれこれ考えている事柄の中の一節。要するに主人公は、俗世のそういうドロドロとした部分にほとほと疲れ果ててしまっているのですね。彼はそういう臭い部分を切り捨てて、詩や絵を作る時のような心境で世の中を眺めたいと願い、そのために飄然として旅に出た人物なのです。

ですから主人公は、例えば人の噂を聞くにしても、起こった事柄を聞くのは好みますが、気の毒だなんだと人の情に立ち入った話を聞くのは嫌がります。とはいっても彼も人の子、気味の悪いものを見れば気味悪がりますし、なにかといえばやはりすぐにあれこれ勘繰ったりしたくなるのですね。

しかし、そんな自分をさえ彼は否定し、修正を試みるのです。例えば、宿泊初日の出来事。深夜一時過ぎに、庭先で地元に伝わる身投げした乙女の辞世の句をひたすら繰り返す女の声がかすかに聞こえ、少しずつ遠のいて行くという怪談まがいの出来事があるのですが、その出来事の意味を思わずあれこれ考えあぐねた後、こんな風に考えを改めるのでした。

"余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰れが見ても、誰に聞かしても饒に詩趣を帯びている。――孤村の温泉、――春宵の花影、――月前の低誦、――朧夜の姿――どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余はいらざる詮義立てをして、余計な探ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。"


何がそこまで主人公を人情から遠ざけるのか、作中には記されていません。とはいえこの事からしても、半ば病的なまでに彼が人情の世界を嫌っているのだという事は分かりますね。この作品は、そうして人情を持ちながらそれを否定した境地に入ろうとする、主人公の葛藤の物語と言ってしまっても良いでしょう。

しかしこの主人公、どうやら面倒な相手に捕まってしまったようです。それというのがこの物語のヒロインであり、前述の深夜の歌声事件の犯人でもある宿の出戻り娘、那美でした。彼女の行動はいちいち奇矯で人を馬鹿にしており、その奇行は地元でもしばしば話題になる程です。当然主人公も振り回されるのですが、振り回されるうち、次第に耐性がついてきます。

もしも彼が一般の人と同様に人情に振り回されていたら、きっとその奇行の数々にすぐに参ってしまったことでしょう。他ならぬ主人公も、そうに違いないと考えています。しかし彼はあくまで非人情を志しているため、彼女の行動の動機などをいちいち詮索せず、その行動の絵的ないし詩的な趣のみに注意を向けようと努力し続けます。

ラストシーンで主人公が見せる、一見無神経で不人情な態度は、そんな「非人情」な視点の完成を意味していると言っても良いでしょう。そのとき彼は那美の心情を慮るでも無く、ただそれまで作為的に作られてきた彼女の表情が消えて、呆然とした瞬間に自然と浮いて出た「憐れ」が絵になると、ただその事のみを喜ぶのです。

ところがこの幕切れ、ここまで書いてきたような視点で物語を読まないと、非常に唐突で意味不明に見えるようですね。そのせいか、ラストシーンの意味が分からないなどと文句を言う人から、果ては主人公がヒロインに懸想しているかのような解釈をする人まで出て来る始末。

しかし、ありがちな主人公とヒロインの物語として読んでしまうと意味が分からないこの結末は、前述のような理由で極めて筋の通った、実に適切な幕切れなのです。また、ラストシーンがこのような形にされていることから、漱石が主人公とヒロインの関係などはなから描く気がない事は明々白々。

また、那美を非人情な女と評する向きもあるようですが、私はそうは思いません。むしろ彼女は徹底的に人情の世界の人であり、ドロドロとしたしがらみを奇矯な行動で覆い隠して、あたかも風流であるかのように振る舞っているに過ぎないからです。だからこそ、主人公はそんな日常の彼女の顔ではなく、呆然とした瞬間の作為性の無い表情を必要としたのではないでしょうか。

とまぁ、語り出したらきりなく語れるこの作品。こういった哲学的な「筋」、いっそ鋼の筋とも呼ぶべきそのしっかりとした筋道の魅力のみならず、文章的な表現の面でも、また描かれた風景の魅力という意味でも見所が満載で、正直どこからどう語っても長文が書けてしまいそうな有様なのです。

最初にこの物語を読んだとき、私の頭にはまだ「猫」や「坊っちゃん」といった、ストーリー性の強い(それですらストーリーはおまけなのですが)作品の余韻が残っていたため、こういった魅力をきちんと理解する事ができませんでした。それどころか、序盤のあの見事な文章をやや煩わしいとさえ思った程です。

しかし、頭を冷やしてもう一度読んでみると、主人公が宿にたどり着くまでのところだけでも、何度でも読めるのですね。この部分は極めて映像的で、表現自体もさることながらカメラワークが実に素晴らしく、この映画的な場面転換をまだ映画など無い時代に造り出した才能には、心底敬服します。

そんなわけで、この「草枕」は様々な意味で読みごたえのある名作だと思うのです。男だの女だの、そんな俗っぽい人情の世界は離れて、是非とも非人情の視点でじっくりと楽しんで頂きたい作品です。

点頭録

私は本の紹介をする時は、必ず一度読み返すことにしています。なにしろ読んでいる数が多いものですから、あまり記憶に頼って書くと、色々ごちゃまぜになってしまいますので。それでも登場人物の名前を間違えたりすることはしばしばあるのですけれどね。

とはいえ、小説ならば斜め読みで内容を把握出来るものの、それが論文となるとちょっとそういう訳にもいきません。漱石の場合、身の上話以外の随筆や演説筆記は大体の場合において論文的なので、これを読み直すのはなかなか骨が折れます。特にこの作品は、徒然と語っている割に要点が多く、どうしたら簡単にご紹介出来るだろうかとたいへん頭を痛めました。

主に歯医者の待ち時間に都合二回程通して読んでみましたが、やはり頭の中で構想がまとまらないのですよね。省いて良いところが見当たらないというか、なんというか。そんな訳で、とりあえず勢いに任せて書いてみようと思います。

○点頭録
著者:夏目漱石
初出:1916年(朝日新聞)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card4672.html
※リンクは青空文庫です。

主に第一次世界大戦の思想的側面からの評価を綴った、漱石晩年の作品。内容は専ら世界大戦のお話ですが、冒頭の一回のみは別。どうやらこの頃の漱石はより一層生死を意識することが多くなったようで、「生きている」ということに対する彼独特の思索が初回に纏められています。連載は9回のみで、漱石の健康悪化が原因で中断されたとか。ちなみに漱石が亡くなったのは、この年の12月のことでした。

二回目以降の内容は、第一次世界大戦についての漱石の論評です。といっても漱石は軍事評論家でも歴史家でもありませんから、そういった物理的ないし社会的、あるいは経済的な側面からの論評は行いません。彼の戦争に対する見方は強いて言うならば哲学的なものでした。二回目から始まる「軍国主義」という章の冒頭で、漱石は次のような印象的な言葉を語っています。

"戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵斯んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其仕懸の空前に大袈裟な丈に、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として却て思ひ出させる丈である。"

戦争騒ぎで頭に血が上っていた人々は、この台詞をどんな風に読んだのでしょうね。恐らく彼がこんな随筆を書く気になったのは、誰かの依頼があったからか、あるいは周囲の馬鹿騒ぎに対して思うところがあったからか、どちらかでしょう。「あくまで書きたいように書く」という条件を新聞社に飲ませた上で入社しているため、ご意見無用を通せる立場にあった漱石の事です。どちらの場合でも、こういう内容になるのはほぼ必然でした。

漱石はこの戦争におけるドイツの行動を、「軍国主義の発現」と捕らえた上で、その軍国主義がどのくらいイギリスやフランスにおける個人の自由を破壊し得るのか、ということに注目したようです。そうした視点で成り行きを観察した漱石は、どうやら思想的には連合国側が既に敗北しているようだと結論しました。

というのも、あれほど自由を重んじた筈の連合国側において、国家が自由を踏みにじることの象徴とまで見なされた徴兵が、あろうことか圧倒的多数の賛成を得て始まってしまったからです。不幸な事に、第二次世界大戦へと連なる世界の歴史が、次の漱石の言葉の正しさを裏付けてしまいました。

"すると勝負の上に於て、所謂軍国主義なるものゝ価値は、もう大分世界各国に認められたと云はなければならない。さうして向後独逸が成功を収めれば収める程、此価値は漸々高まる丈である。"

同時に漱石は、この大戦後の世界が軍国主義の影響を強く受けて行く事を予測し、その影響を超越する事はできないとまで述べました。この漱石の分析が正しかった事、そしてその結果として世界に何が起きたかは、皆さんもご存知の通りです。

漱石はまたこの時点で、列強間での平和というのは所謂冷戦のようなものに他ならないと説いています。力の平衡による危うい平和という概念は冷戦後の世界でこそ一般的ですが、国家間に真の平和が存在し得るという幻想を世界が信じていた頃の人間の発言としてはあまりに現代的で、約100年前の人物の言葉とは思えませんね。

こういうと漱石は軍国主義の支持者であったかのように思われるかも知れませんが、決してそういうわけではありませんでした。むしろ逆で、彼としては自由主義に勝利してもらいたかったようです。しかし、そういった願望による色眼鏡無しで世界を見る事の出来る彼は、冷たい現実から目を逸らす訳にはいかなかったのでしょう。

さて、当時の思想界ではドイツとニーチェを結びつけて考えるのが流行していたようですね。特に欧州のメディアは、さかんにニーチェの影響を説いていたようで、その方面の本も多数著されたようです。しかし、漱石が注目したのはニーチェではなく、トライチケでした。但し、ここでも漱石の冷めた目は思想界や大衆とは別のものを見ていたようです。

"思想は又何所迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら/\に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。"

というわけで、この戦争はトライチケの思想のとおりのものであるけれども、だからといってトライチケの思想の影響でこの戦争が始まった、などということは有り得ないというのが漱石の考えでした。実際のところ、社会と哲学者の関係というのは大抵の場合、上の漱石の言う通りなのです。社会が動くのは、そうすることが力のある誰かの利益になる時だけ。その結果が思想と一致したからと言って、思想が社会を動かした事にはなりません。

何かと言うと世界の動きを哲学界の御陰にしたがる傾向がメディアには見られますが、しかし世界はもっと冷淡で冷血でした。それは、そういった色眼鏡で脚色した「歴史」ではない、事実の記録を見れば一目瞭然です。しかし、大衆もメディアも、そうした歴史観は好まないもの。それは現代でも変わりません。

漱石の事を単なる天の邪鬼として片付けたがる人々は、恐らくこういった彼の態度を良く思わない人々の作り上げた虚像を見て居るのでしょう。あるいは、その虚像が彼等にとっても都合が良いのかも知れません。しかし、漱石は何の理由も無く世間に逆らっていた訳ではないのです。それどころか、当時としてはあまり見られない鋭く現代的な分析を行う事が出来る、実に頭の切れる人でした。

この作品は、そんな切れ者としての漱石の姿を知る事が出来る、貴重な資料だと思います。

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