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日々の便り

 

レンタル・フルムーン

このところ寺田寅彦ばかり読んでいましたが、今日は久しぶりに漱石を読みました。読んだのは「吾輩は猫である」。本当はちょっと調べ物をするだけのつもりだったのですけど、開いた途端にのめり込んでしまって、気がつけば二時間も。やはり漱石は凄いです、圧倒的なのです。なんでしょうね、この抗い難い面白さは。

初期の漱石作品に見られる滑稽味というのは、決して人を爆笑させるような類いのものではありません。滑稽諧謔とくくって見下す人も居るようですが、その種の露骨過ぎて下品で頭の悪い「滑稽」とは一線を画す、なんとも上品でニヒルな滑稽味なのです。下品な話でさえ、漱石が書くといやらしさがあまりないと感じるのは、私だけではありますまい。

文体としては、漱石のそれはどちらかというと乱れがちな方でしょう。文法に着目するならば、恐らく寺田寅彦の方がよほど正しい日本語を使っていると思います。しかし、どういうわけか寅彦より、漱石の方が読み易いのですね。これは、読む人をぐいぐい引っ張って行く彼独特のリズムの御陰でしょう。

ところで、どうして「猫」を開く事になったのかといいますと、この作品に引用されていた台詞が、どういった経緯で登場したものだったかを思い出せなかったからです。

レンタル・フルムーン〈1〉第1訓 恋愛は読みものです (電撃文庫)
タイトル:レンタル・フルムーン
著者  :瀬那 和章

ジャンルは一応ファンタジーでしょうか。簡単に言うと、世界とは神の作った実験場で、その全ては人の「認識」によって在り方を定められているのですが、時折イレギュラーを生み出すので、それを回収して回る仕事をするお話、といったところ。といっても世界設定とかヒロインのお仕事というのはあくまでオマケのようなもので、メインは不器用な少年少女の距離の探り合いなのですけれどね。

電子書籍のキャッシュバックフェアで、なんとなく購入したのがきっかけで、結局シリーズを通して買ってしまいました。まぁシリーズと言ってもたったの三册なので、たいしたことはありません。この方は他にも何作か作品を執筆しておられますが、どれもさほど長いお話にはなっていないようです。遅筆なのか、あるいは単に流行らないので続きを書けないのか、どちらかでしょう。

ではなぜシリーズで購入したのかといいますと、文体が気に入ったからです。あとは、流行りそうにない地味な設定とイベントで、それなりにテンポ良く話をまとめているところにも好感が持てました。一応ラノベなので女性率は非常に高いのですけど、決してハーレムという訳ではありません。起こる事件も、よく考えると絵面的には派手なのですが、規模として派手なものは非常に少ないのですよね。

作品の魅力はまずその整った文体と、そして随所に散りばめられたオリジナルの格言でしょう。サブタイトルが示しているように、この作品はまず主人公が教訓としている格言の呈示があって、その格言を打ち破る方向で話が進みます。とはいえ、どちらかが絶対の正解であるかのような、安っぽい展開にはならないのが良いですね。むしろこの作者は、そうして物事を型にはめて一面的に見る事を否定しようとしているように見えます。

また、若さ故の視野の狭さで選択肢を捨ててしまう主人公に対し、大人達が与える助言がまた良いのですね。特に主人公の姉の台詞には、良いものが多いように感じました。中でも「楽しい事っていうのは基本的に面倒くさい事だと思うよ」というのは金言だと思います。彼女の場合は主に恋について語っているのですが、それ以外の事柄にもバッチリ当てはまりますよね。

また、時折引用される名作の台詞も読書好きには嬉しいところです。主役級は皆読書家という設定なので、これらが単にそれっぽい雰囲気を狙った演出なのか、あるいは作者が本当に読書好きなのかは分かりません。ただ、「吾輩は猫である」から次の一文を引用する辺り、この作者は本当に本が好きなのではないかと思うのです。

“食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。”


これは「吾輩は猫である」の第二回で、猫が苦沙観先生の日記を盗み読みしながら感想を述べるシーンに登場する一文です。猫と言ってこの一文を思い浮かべる人などまず居ないでしょうし、そもそもこの部分を覚えている人も稀でしょう。漱石らしい独特の言い回しではありますが、よほど漱石が好きか、あるいはこの作品をしっかりと読み込んでいない限り着目する事などないと思うのです。

そしてこれは、私が「猫」を再び開くきっかけになった引用部分でもあります。「絶体絶命」でピンときたのですが、さすがにこれがどこに登場する文なのかという事までは分かりませんでした。そこで電子書籍を開いた訳ですが、なぜかそこから読書モードに突入してしまい、気がついたら昼過ぎになっていたのです。電子書籍ですから、なにも読んで探す必要は無かったのですけれどね。

ところでこのシリーズ、最終巻が出てからだいぶ経っている事を考えると、どうやら三巻までで終わりのようです。「レンタル・フルムーン」というタイトルの由来が登場するのは三巻なので、あるいは意図された終わり方だったのかも知れませんが、これで終わりというのはちょっと拍子抜けな感じもしますね。というのも、終盤は怒濤の展開だった割に、あまり大団円と言えるようなシーンがありませんでしたから。

どちらかというと、打ち切り漫画にありがちな「To Be Continued...」な結び方になっているので、やや物足りなさを感じます。ただ、このネタだと多分流行らないだろうなぁと思えるのもまた事実。内容的にはむしろ高品質であるだけに、あまり売れていないのが残念でなりません。

しかしよく考えてもみると、漱石や川端康成を熟読しているような硬派な読書家で、しかもラノベも読むなどという人は、特に少数派だろうと思うのですよね。この作品の主人公達がまさにそういう人種なのですが、そういった希少種でないと共感出来ない内容というのは、マーケティング的にかなり不利なのではないでしょうか。にも関わらず三巻も出ているのですから、もう充分に結果を出しているとも言えるでしょう。

ちょっとマニアックで、どことなく古風で。少し個性的で、ちょっと良い話。間違いなくライトノベルで、はちゃめちゃな物語なのに、傾向としてはむしろ文芸的な、上品な後味が心地良い作品でした。

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