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日々の便り

 

気がつけば翌日

いやはや、久々に寝落ちというやつをやらかしてしまいました。それほど疲れる事があったとも思えないのですけれど、今日はどうにも眠くて仕方ありません。あるいは、朝から降り続いている雨と何か関係でもあるのでしょうか。

只今午前2時30分。とりあえず風呂に入って来たのですけれど、さすがに今から何かするのは無理そうですね。本当は、今日は届いたばかりのamPlugで遊び倒そうと思っていたのですけれど。しかし、さすがに今から遊んだりしたら、明日起きれなくなってしまうので止めておきます。いえ、明日というより今日ですね。

もう二月も終わるのですね、本当にあっというまでした。大雪が二回もあったので、御陰で週末の半分を雪がらみで消費してしまったのも、なんとなく忙しなかった理由でしょう。色々と試したい事は多かったのに、びっくりするくらいに何も出来ない一ヶ月でした。

三月はもう少しギアを上げていきたいですね。

エル・カルメロ

そういえばここしばらく、コーヒーの話をしていませんでしたね。実は例によって、しばらくケニアとエチオピアばかりで、新しい豆を試していなかったのです。この二種類は我が家の定番なので、特に興味のある豆や新しいブレンドがない場合は、基本的にこの組み合わせに。店員さんに指摘されて初めて気がつきましたが、どうやら私は南米系よりアフリカ系の豆を好むようですね。

とはいえ、別に南米が嫌いという訳ではありません。お勧めされれば試してもみるのですよ、というわけで、勧められるままに新しい豆を購入してしまいました。

2014-02-26
2014-02-26 posted by (C)circias
国籍:コロンビア
農園:エル・カルメロ
煎り:シティロースト

コロンビアはエル・カルメロ農園から。種類はカトゥーラのようですね。この豆は以前、コロンビアの飲み比べセットに含まれていたそうなのですけど、多分日記には書いた事がないと思います。カルメロ農園なんて覚え易い名前、さすがに忘れたりはしないと思いますしね。

淹れ方ですが、シティローストなので、挽きはいつも通り中挽きで。お湯は84.5度、蒸らしは45秒。注ぎは、普段よりちょっと高めの位置から落とすような感じで、抽出二回で淹れてみました。

まず香りは、まったりとしています。どちらかと言えばナッツのコクに近い感じの甘い香りですが、それでいてそんなにこってりとした感じにはなりません。これは恐らく、同時に少し香る酸味が柑橘のような印象だからでしょう。

口に含んだ時の印象もまた、香りとほとんど変わりません。まずはまったりとしたコク、そして柔らかな苦み。この苦みが実に柔らかくて、苦いというよりは香ばしいと言った方が良い程度の軽いものです。次いで感じる酸味もそれほど強い主張はなく、全体的にふわりと軽くて明るい印象の味でした。

温度が下がって温くなってくると、熱いうちは目立っていた口当たりのまったり感が少なくなってきます。代わりに前に出て来るのは酸味ですね。ほぼ口当たりから、オレンジのような華やかな酸味が口の中に広がり、苦みは控えめに主張する程度。甘味も口当たりからしっかりと感じるので、甘酸っぱいコーヒーという印象になります。

後味もまたこの甘酸っぱさが残りますが、あまり舌に絡み付かない味なので、口の中はさっぱり。食後の一杯に丁度良さそうです。ちなみに、甘いものには飛び切りよく合います。特にチョコレート系とは相性が良いようですね、お互いの旨味を引き出してくれるので、ちょっぴりチョコをつまみながら飲むのがお勧めです。

コロンビアは無難な印象の豆が多かったような気がしますが、この豆はかなり個性的と言っても良いでしょう。いわゆる缶コーヒー的な当たり前のコーヒーの味はしません。しかし、当たり前なコーヒーよりずっとこちらの方が美味しいと思います。

個性はありますが、あくまでふわりと軽く明るい味なので、決して嫌みにはならないのが良いですね。割とどなたにでもお勧め出来そうな、飲み易いコーヒーでした。

さるかに合戦と桃太郎

こういうのは世代によるのかもしれませんが、少なくとも私が子供の頃は、子守りと言えば「お話」が定番でした。絵本を読み聞かせたり、紙芝居をしてあげたりするのです。私も随分色々な本を読んでもらいましたし、同時に読み聞かせてあげもしました。兄弟が多いと、上の子供は子守役になってしまうものですよね。

絵本と言えばまず定番は日本の昔話・・・と言いたいところですが、我が家の場合は西洋のお話が多かったようです。例えば、かえるの王子様とか、イソップ物語とか。なぜかマザーグースもありまして、茶化して大いに笑わせたりしていましたけれど、意味が分かると笑えない話ばかりですよね、あれは。

一方で、紙芝居はなぜか昔話が多かったように記憶しています。近所の公民館の図書館で貸し出していたもので、鴨とり権兵衛とか、芋転がしとか・・・もちろん、桃太郎や猿蟹合戦は定番ですよね。
ところでこの二作品ですが、昨日ご紹介した「変った話」の一話目の終盤に、ちょっと奇妙な記述がありました。引用すると、以下の通りです。

“桃太郎や猿蟹合戦のお伽噺でさえ危険思想宣伝の種にする先生方の手にかかれば老子はもちろん孔子でも孟子でも釈尊でもマホメットでもどのような風に解釈されどのような道具に使われるかそれは分からない。”

抜粋:寺田寅彦 “変った話”。

どういうことだろうと思ったら、その答えそのものが一本の作品になっているのを見付けてしまいました。というわけで、今日はその作品について少々。

○さるかに合戦と桃太郎
著者:寺田寅彦
初出:1933年(文芸春秋)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2489.html
※リンクは青空文庫です

さるかに合戦と桃太郎に妙な意味付けをして教えた教師達の事例から、おとぎ話の扱い方について論じた作品。「変った話」の中に出て来た謎の一文の背景は、この作品の冒頭で簡潔にこう述べられていました。

“近ごろある地方の小学校の先生たちが児童赤化の目的で日本固有のおとぎ話にいろいろ珍しいオリジナルな解釈を付加して教授したということが新聞紙上で報ぜられた。詳細な事実は確かでないが、なんでもさるかに合戦の話に出て来るさるが資本家でかにが労働者だということになっており、かにの労働によって栽培した柿の実をさる公が横領し搾取することになるそうである。”

これはあれですね、当時流行った共産主義の宣伝という奴です。現在でも教育者は左向きの人が多いと聞きますが、それは戦後どころか昭和の初期からそうであったようで。資産家批判は昔からありますが、共産主義者は専ら「搾取」を問題にしているところが、かつてのそれと根本的に異なる部分なのですよね。寅彦はまず、この「搾取者」と「被搾取者」という対立構図に対して、痛烈な皮肉を浴びせます。

“桃太郎が鬼が島を征服するのがいけなければ、東海の仙境蓬莱の島を、鎚と鎌との旗じるしで征服してしまおうとする赤い桃太郎もやはりいけないであろう。
こんなくだらぬことを赤白両派に分かれて両方で言い合っていれば、秋の夜長にも話の種は尽きそうもない。”

その上で寅彦は、こういった昔話やおとぎ話の類いに語る側が妙な解釈を付け足して、それを子供に押し付ける事に対して疑問を呈しました。それは共産主義が良いの悪いのという次元の話ではなく、お話の扱い方として間違っているのではないかというのです。

彼は、おとぎ話の本質は現実世界の事実と法則を特殊な比喩を用いて表したものである、と指摘します。それが良いか悪いかなどという論議とは全く関係なく、その形に当てはまる出来事は実際に世の中で日々起こっているのであり、そういう法則が世の中にはあるのだということを子供に教えることこそが、おとぎ話の役割であるというのですね。

確かに私もおとぎ話を何度も聞きましたが、そこに妙な善悪論や政治思想に基づく注釈が付加されていたことはありません。しかし、それを何度も聞いているうち、自然と何がそのパターンに当てはまるのかを生活の中で認識し、やがてその事実の認識が自分の知恵となっていったものです。それはまったくもって、寅彦がこの作品の中で主張した通りのことでした。

作品の終盤で指摘されている通り、事実を事実のままに認識することが最も重要であり、恣意的な意味付けが害悪である事は言うまでもありません。しかし考えてもみると、こういうことは世の中で結構普通に行われているのですよね。それは別に共産主義者や新興宗教、動物愛護団体に限った事ではなく、メディアだって似たような事をよくやる気がします。

少々乱暴な言い方をするならば、要するにこれは嘘つきの常套手段なのです。分かり易いモチーフに都合の良い配役をして、自分の与する側の主張を正しいと思い込ませようとする、という。お手軽で同意を得易い方法だけに、定番化しているのでしょう。逆に言えば、こういう手法を用いてくる相手が居たならば、その主張は疑うに足ると言ってしまっても良いのかもしれません。

それにしても、先生方の醜悪な振る舞いから始まったはずのお話が、こんな風に普遍的な教訓に帰結するところが興味深いですね。もちろん、発端となった事件への嫌悪の念のようなものが、寅彦にしては随分攻撃的な文体の端々に現れてはいます。それでも、特定の何かを攻撃しておしまいというような、浅はかな文章にしないのはさすが寅彦。彼はどうやら、猿にも蟹にも属するつもりはないようです。


変った話

四方山話というのは簡単なようで難しいですね。無口や話ベタは人格次第ではプラスにもなり得る短所ですが、逆に、話題がつまらないのに話の主導権を握りたがる人というのは概ね嫌われます。それは恐らく文章でも同じで、読みたいと思ってもらえる四方山話というのは、簡単なようで難しいのですよね。

まずポイントになるのは、話題の選択でしょう。これは会話の場合は特に重要で、話し相手の嗜好を把握していないとうまくいきません。前述のような駄目な話し手は多くの場合、そもそも自分にしか興味がないので、いつも「俺様話」をしようとして失敗するのですよね。

文章の場合は読む側である程度取捨選択してくれるので、会話の場合程読み手の嗜好を気遣う必要はありません。とはいえあまりに分かり切った事を書いても誰も興味を持たないでしょうから、勢い話題はなにがしかの事件なり、新規性のある事柄になりがちです。一言で言ってしまえば、「変わった話」なら割と無難に読んでもらえる、と言っても良いでしょう。

というわけで、本日はこの一冊をご紹介したいと思います。

○変った話
著者:寺田寅彦
初出:1934年(経済往来)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card4359.html
※リンクは青空文庫です

やたらと直球なタイトルですが、それほど奇妙な話をしているわけでもないような。実に寅彦らしい雑談を数本収めた作品です。形式からして、恐らくは雑誌か新聞のコラム記事を集めたものではないでしょうか。

最初の作品は「電車の中で老子にあった話」。老子というのは中国の哲学者ですね、世界史で少しだけ習う人物ですが、孔子程馴染みのある哲学者ではありません。寅彦は少年時代の経験から老子に興味を持ってはいたのですが、それまで手に取った解説書はどれも「カビ臭い雰囲気で」「偽善的」だったため、彼には合わなかったようです。

しかし寅彦はたまたま、そういったイメージとは異なる老子の解説書に出会いました。それはアレクサンダー・ウラールという方の解説書で、実に短いドイツ語の書籍であったのだとか。

寅彦が電車の中で読んだその本は分かり易く親しみ易いだけでなく、明らかな誤訳と思われる箇所が、かえって話の筋が通っているように見えるという意味でも、実に興味深いものだったのだそうです。寅彦はその実例を幾つか挙げた後、老子を危険思想扱いしていた当時の世論に次のように釘を刺しました。

“充実したつもりで空虚な隙間だらけの器物はあぶなく、有為なつもりの無能は常に大怪我の基である。老子の忠告を聞流しているために恐ろしい怪我や大きな損をした個人や国家は歴史のどの頁にもいっぱいである。”

時代背景を考えると実に当を得た警句だと思います。歴史を鑑みるに、残念ながら彼の言葉には誰も耳を貸さなかったようですけれど。それも含めて、実に皮肉なものです。

二本目は、「二千年前に電波通信法があった話」。これはギリシャ時代の水位式通信装置のお話で、ちょっと興味をそそられる内容でした。なんでもギリシャ時代には、のろしを使って壷に貯めた水の放水時間を同期する事で、水位ごとに設定されたメッセージを伝達するという、遠距離通信方法があったのだとか。そんな話の最後にも一言皮肉が入るのは、やっぱり寅彦ですね。

三本目は、「御馳走を喰うと風邪を引く話」。これは、タイトルのような台詞を口にする人があることから、はたしてそれはどういう意味だろうかと、半ば連想ゲーム的に意味を考えるお話。近年はこんなことをいう人もなくなったかと思いますが、確かに昔はそういうことをいう老人が居ましたね。恐らく、古い時代の言葉なのでしょう。その意味や由来は分かりませんが、幼い頃に私も聞いたことがある気がします。

最後は「半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話」。まるで言葉遊びのようですが、言ってしまえば一病息災とでもいいましょうか。ちょっと体調を崩している時の方が体に気をつけるので、かえって大きな病気をしないというようなお話です。これは実際、そういうこともあるでしょうね。なまじ体の丈夫な人が、体に自信があるばかりに治療を後回しにして重篤化するなどという事例は、現代でもしばしば聞きますから。

作品後半で寅彦が言及しているSFは、恐らくウェルズの「宇宙戦争」でしょう。ウェルズは私も読んだので、ぼんやりと記憶しています。寅彦は病原菌にやられた宇宙人を例に、潔癖に過ぎるせいでかえって抵抗力を落とす事もあるのではないかと指摘しました。これは実はその通りで、一頃の除菌ブームなどは、かえって過敏な体を作るので良くないのだという事が指摘されています。

どうやら日本人の潔癖性は昔からのようで、当時から意味もなく予防予防と必要以上に神経質になっている人は少なからず居たのだとか。現代でも相変わらず無菌主義者は多いですし、こういうのもお国柄なのでしょうね。

とりとめもない短いお話が4本収められているだけとみせかけて、実はそうでもありません。ちょとためになるお話であるのはもちろん、必ずと言って良い程社会的な方向に話が進むため、当時の世相を知るための資料としても価値がありそうです。意味のない話をしているようで、実は結構意味深い。寅彦らしい小品集でした。


Singing/Playing

折角の休日だというのに、今日も今日とて朝寝坊。しかも午後は留守番で、結局ほとんど何もしないで一日が終わってしまいました。こういう休日の過ごし方は、精神衛生上たいへん宜しくありませんね。

そういうわけで今日は特に日記に書くべき事もないのですけれど・・・そういえば、またしばらくレコードの話をしていませんでしたね。というわけで、今日はまたレコードを一枚聴きながら、その感想など。

LINK
タイトル  :Singing/Playing
アーティスト:Larry Carlton

ラリー・カールトンと言えばインストですが、このアルバムはそのタイトルの通り、歌ものがメインになっています。他のアルバムにも歌は入っていますが、歌の方が多いのは多分このアルバムだけではないでしょうか。彼のアルバムの中では変わり種と言っても良いかもしれません。

一曲目は"Easy Evil"。Alan O'dayという方の曲のようですが、このメロディは確かどこかで聞いた事があるような。微妙に調子っぱずれな歌声が頭に残っているので、多分ビートルズではないかと思うのですが。やや掠れたような弱い声で甘く歌うスローな曲で、これはムーディとでも言うべきなのでしょうか。古風な雰囲気なので、今となってはこれでも全然上品な気がするのですけれど。

二曲目の"I Cry Mercy"は暖かくて健やかな雰囲気の曲。ふわりと優しい感じではなくて、素朴で爽やかで暖かい感じとでも言いましょうか。一歩一歩踏みしめるような感じのリズムに、風を思わせるような爽やかなストリングス、そして明るい日差しのようなメロディラインがとても魅力的です。

続く"One More Change"はいかにもアメリカっぽい、夜の街のイメージですね。もう死語ですが、ちょい悪な感じとでも言いましょうか。A面最後の"With Respect to Coltrane"はインストで、やはり夜っぽいイメージですが、活動的な大都会の夜景を様々な視点から捉えた映像が合いそうな感じ。要は人間より自動車やビルなどといった、より無機的な都会の夜のイメージですね。

B面一曲目は、健やかなピアノで始まる優しいバラード。タイトルは"American Family"ですが、私のイメージではむしろブリティッシュロックの香りがする気がします。つまりビートルズ的なのですね、この曲も。作曲者はA面一曲目と同じAlan O'dayなので、こういう雰囲気はこの方の癖なのかもしれません。

曲の雰囲気は、暖かい家族の思い出のアルバムを開いているような感じ。この曲をバックに家族の歴史を写真で辿ったりしたら、素敵なムービーが出来るでしょう。といっても、やはりアメリカやイギリスの家族でないと、曲の雰囲気と絵が一致しそうにありませんが。

"Wavin' and Smilin'"のメロディラインはEasy Evilと似ているのですが、雰囲気がよりパワフルで爽やかになっています。最初は夜っぽいかなと思ったのですが、途中から入る高音のエレキギターの雰囲気がどうにも明るいのですよね。ピアノのキラキラ感は夜景っぽいので、夜景を見ながらのドライブのような絵が合うかもしれません。

三曲目の"Captain, Captain"はスローなピアノのバラード。健やかで素朴な感じの曲です。やはりストリングスが入るので傾向としては一曲目と似ていますが、より昔語り的なノスタルジックな印象を受けます。太いシンセリードのフレーズが独特の雰囲気を持っていて、ぐっときますね。特にラストの引き方は胸にじんわりくる感じです。

ラストの"Free-Way"はいかにもラリーカールトンという感じのインスト。作曲者が彼自身なので、彼の持ち味が遺憾無く発揮されています。このメインテーマは最近のCDでも聞いたことがあるような気がしますね。大人しい序盤は近頃のラリーに近いのですが、途中から曲が激しくなり、演奏も若さ溢れるエネルギッシュなものになっていきます。

全8曲を収めたアルバムですが、どの曲もとても聞き易い良い曲ばかりで、聞いていると時間が経つのが短く感じました。他のアルバムに収められている彼の歌はあまり好きではないのですけれど、このアルバムは調子っぱずれという事もなくて良いですね。彼のようなインスト系のアーティストが歌うとろくなことにならないものですが、このアルバムに限ってはむしろ素晴らしいと思います。

健やかな雰囲気の曲が多いのも好みですね。エリック・クラプトンのようないかにもアメリカらしい曲も好きですけど、ブリティッシュな感じの方がより好みなのです。そんなわけで、ビートルズっぽい曲が特に良かったと思います。とても心地良く、何度でも聞きたくなる素晴らしいアルバムでした。

小鳥を撮る

今日は朝からカメラを持って遊びに行こうと思っていたのですけれど、すっかり寝坊してしまいました。目が覚めたのはなんと午後二時、絶望的なまでの駄目人間ですね。そんなわけで行き先は神代植物公園の水生植物園に変更、到着したのは午後三時過ぎでした。

特にお目当てがあった訳ではないのですが、とりあえず広角やマクロは出番がなさそうなので、M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6 Rを選択。カメラを提げて園内を歩き回ってみたのですが、今日はどういう訳か、小鳥の写真を沢山撮る事になりました。まずは下の一枚、これは恐らくツグミだと思います。

ツグミ
ツグミ posted by (C)circias

そのまま歩き続けて植物園の一番奥まで辿り着いたところで、何やら妙な音が聞こえ始めました。「トトトン、トトトトン、トト、トトトトト・・・」という感じで、最初は誰か釘でも打っているのかと。文字に表すと「トン」ですが、結構鋭い音なのです。もちろんキツツキの可能性は考えましたが、小鳥がこんなに鋭い音を立てるとは思えなかったものですから。ところが・・・

コゲラ
コゲラ posted by (C)circias

なんと音の主はコゲラ。キツツキの中でも小柄な方ですが、凄いパワーなのですね。物凄い勢いで嘴を打ち付けるものですから、頭が残像になってしまってなかなかきちんと写真に写りません。つつくのを止めている時は穴に頭を突っ込んでいる時なので、頭部が写りませんし・・・この一枚は、偶然タイミングよく写す事が出来た唯一の写真です。

それにしても、このあたりに居るというのは聞いていましたが、こんなに近くで木をつついているのを見掛けたのは初めてかもしれません。物珍しさに、この子が飛び去るまでじっくりと観察してしまいました。なんというか、とても良いものを見る事ができた気分です。

これですっかり気を良くした私は、今度は積極的に小鳥を狙ってみる事にしました。M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6 Rは運動会用という触れ込みですし、以前に使った時は小鳥は厳しいという気がしたのですけれど、そこはそれ。虫に忍び寄るのと同じ要領で、こちらから接近してやれば小鳥だって撮れる筈です。

ジョウビタキ
ジョウビタキ posted by (C)circias

というわけで、まずはジョウビタキ・・・ではなくてオジロビタキと思われる小鳥を一枚。やはり小鳥は警戒心が強く、5mくらいまでしか接近出来ないため、150mmではトリミングがほぼ必須になります。しかし、カメラの解像度を考えるとこれは充分実用に足る写りではないでしょうか。

鳥の種類にもよりますが、大体15cmくらいの小鳥なら、10m以内からであればそこそこのサイズで写す事が出来ます。フォーカスは結構速いので取り逃がしもありませんし、連写を併用すればもっと確実に良い一枚を得られるでしょう。というか、今日の撮影で痛感しましたが、連写無しで小鳥を追うのは無謀ですね。彼等は頭をとにかく動かすので。

シジュウカラ
シジュウカラ posted by (C)circias

最後に、シジュウカラを。偶然何かを咥えているところを撮る事が出来ました。この子は餌探しに夢中で、無防備に私の方へと近寄って来たので、今日撮影した小鳥達の中では一番接近出来たと思います。ただ、3mくらいまで近付いたところで、自分が人間に向かってダッシュしている事に気がついたらしく、鋭くひと声鳴いて飛び去ってしまいました。蝶相手に磨いた潜伏スキルも、鳥相手にはあまり通用しないようです。

これまでは野鳥の写真なんてあまり感心がなかったのですけれど、撮ってみると案外楽しいものですね。なにしろ鳥は虫よりも表情豊かですし、なにより接近が非常に困難なので、逆にそれが面白くもあります。ハンティングでもしているような感覚ですね。

私は傍若無人な野鳥写真家達の振る舞いが大嫌いなので、これまで野鳥の写真は趣味にしていなかったのです。でも、あんな風にごっつい機材を振り回さなくても、人の邪魔にならずに撮影出来るのならば、野鳥の写真も楽しいものですね。よもやM.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6 Rが、こんなに使えるなんて思いもしませんでした。

トリミング前提ではありますけれど、このレンズは野鳥の撮影にも結構使えるようです。まぁ最近はトリムしない方が珍しいなんて言われるくらいですから、であれば全く問題ないとも言えるでしょう。全然期待していなかったレンズですが写りもきれいですし、案外優れものかもしれません。


カメラをさげて

以前はコンデジを使っていた私ですが、E-PL5に替えてから、写真を撮るという行為に対する見方が変わった気がします。そう、かつては明確に撮るものを決めて、その対象の映像を残すためにカメラを使っているという感じでした。言ってみれば、あれは単なる記録だったのです。

しかし、E-PL5に持ち替えてからというもの、別に明確な目的がなくてもカメラを持って出掛けるようになりました。なぜなら、レンズを通して見る世界というものが、それ自体に価値を持つようになったからです。出来上がる映像に感じる印象が全く違うのは、多分新しい道具に浮かれているから、というわけではないと思うのですよね。

実は寺田寅彦も、カメラについて似たような事を感じていたようですよ。

○カメラをさげて
著者:寺田寅彦
初出:1931年(大阪朝日)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2460.html

写真撮影についての雑感を記した短編。寅彦は時折カメラをさげて散歩に出掛けては、街の様子を写真に収めるのが趣味だったようです。曰く腕が悪いのでなかなか上手く撮れなかったのだそうですが、それでも、撮影する気になって風景を眺めてみると、そこに意外な発見をする事が面白かったようです。そんな視線の変化を、彼は次のように表現しました。

“つまり写真機を持って歩くのは、生来持ち合わせている二つの目のほかに、もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである。”

コンデジを持ち歩いていたときはそんな感覚はありませんでしたけれど、今ならこの意見に心から同意出来ます。カメラの写す世界は肉眼で見たそれとは違うのですけど、それが魅力的なのですよね。当時のカメラは白黒でしたから、この感覚はより強いものだったでしょう。なにしろ、それが面白いと言うのでわざわざ白黒で写真を撮る人が、今でも少なからず居るくらいなのですから。

また寅彦は、カメラの画角が狭い事から生まれる面白さも指摘しています。曰く、写せる範囲が狭いからこそ、撮影者はその外側に切り捨ててしまう全てを写る範囲に圧縮するつもりで、被写体を選ぶと言うのです。実際、風景写真を撮る時はそんな感じですよね。

パノラマ機能を使って無造作に撮った写真より、写すポイントをよく選んで撮った一枚の方が、その場の雰囲気をよく表していることは多いものです。そしてこれこそが、カメラを持つ事で生まれる「もう一つの目」の正体なのでしょう。ちなみにこの感覚を味わいたいなら、中望遠の単焦点レンズを使ってみるのがお勧めです。

さて、寅彦はそんなカメラの魅力について述べた後、被写体である東京の風景の面白さについて記しています。彼が指摘したのは、あらゆるものが新旧入り乱れて共存し、なおかつ調和した風景として成立してしまっていることの不思議さでした。これは、近年東京を訪れる外国人が指摘することでもありますね。

寅彦はこの風景から、奈良時代に大陸文化が大量流入した時の日本の様子を連想します。確かに当時は西洋からの怒濤の如き文化流入が街の風景を劇的に変えていた時代ですから、条件的にはそれと似ているのかもしれません。恐らくその混沌は、そういった時代背景が造り出したものだと思ったのでしょう。

しかし現代に至っても、東京の風景は混沌そのものです。例えば南青山のような発展した街には、奇をてらったデザインのまるでオブジェかなにかのようなビルの谷間に、朽ちかけたお社が挟まっていたりするのですね。建物もまた年代ごとにそのデザインの傾向がまちまちで、まるで統一感がありません。それは寅彦が指摘した通り、世界中どこにもない不思議な光景と言われています。

恐らくこの特性は、「江戸」が「東京」になって以来、変わらないものなのでしょう。あるいは、東京と言う場所ができてからこちら、海外からの文化流入が途絶えた事がないからなのかも知れませんが。

寅彦は、その風景の多様性と、日本の持つ気候風土の多様性を重ねました。そして、日本人の「景色」に対する感心の強さは、そのような気候風土が醸成したものに違いないというのですね。なんでも当時、海外で中国人と日本人を見分けるには、カメラを持っているか否かで判断出来ると言われたくらいなのだそうで。いわれてみると確かに日本人は、風景写真が好きですよね。

しかし近頃は、風景や物を撮影して絵をつくることよりも、単になにがしかの「記念」として写真を撮る人の方が圧倒的に多くなってきているようです。なにしろ、スマホに押されて市場を奪われているのは機能的に競合するコンデジだけでなく、一眼レフやミラーレスもまた同じであるというのですから。

仲間内で見せ合うための記念写真ならば、そこそこ広角で顔検出機能でもついていれば、描写力がどうこうなんて関係ないでしょう。ならば、一眼レフなどかさばるばかりの無用の長物。売れなくなるのも当然ですね。また同時に、なまじ高性能な記念写真用のカメラが無料で与えられてしまうため、それで撮れる世界が全てだと勘違いしてしまう人も多いのだろうと思います。

しかし、景色や物を奇麗に撮りたいと思うのなら、スマホやコンデジではおよそ力不足。そういうニーズが主流ならば、一眼レフの衰退など有り得ません。スマホもコンデジも使った上で断言しますが、どんなに高画質になろうと所詮スマホはスマホ。でもこの違いは、ちゃんと「カメラ」を使ってみないと気付く事はできないのですよね。

だからきっと多くの人が、その違いに気付かないまま、カメラを不要なものと考えてしまっているのでしょう。願わくは今より多くの人が、カメラという第三の目の素晴らしさに気付いてくれたら、そしてカメラを使う事で、景色を見る事の素晴らしさに気付いてくれたらと思うのですけれど。


夜明けの消防車

消防車のサイレンって、破壊力ありますよね。あれを家の前で鳴らされたら、さすがに熟睡していても飛び起きるというものでしょう。そんなわけで今朝・・・といってもあれはまだ空が白む前の事ですが、突然鳴り響いたサイレンで私は叩き起こされてしまったのでした。

すわ火事かと飛び起きてみれば、それはどうやら救急車の先導だったようです。自治体にもよりますが、一頃から救急車の前に消防車が救命士を乗せて駆けつけるようになったのですよね。それでやってきた立派なはしご車が、その立派なサイレンでご近所の窓ガラスをビリビリと震わせたのです。

救急車を呼んだのは、どうやら隣のアパートの一階の住人のようでした。どういう事情があるのかは分かりませんが、このところ毎週のように救急車を呼んでいるお宅です。そんなに救急を頼むような症状で、なおかつ直ぐに自宅に舞い戻れる病気というのはちょっと分かりませんが、まぁ今朝もその常連さんが呼んだのは間違いありません。

御陰で私は極度の寝不足になってしまいまして・・・合計では二時間寝ていますが、間に起きている時間を挟んでいますので、感覚的には仮眠を一時間とっただけとあまり変わりないのです。ただでさえ先月からの病気で弱っているところでしたから、これは効きました。文句を言っても始まりませんが、もう頭は痛いし目眩はするし息苦しいし背中は痛むし。

というわけで本日は、やるべきことも全部放り出して寝るとします。それでは皆さん、おやすみなさい。

怪異考

自分でいうと甚だ怪しく見えてしまうのが難点ですが、私は科学的な思考を好む人間です。でもそのくせ、不思議な話って好きなのですよね。いわゆるホラーの類いは先が読め過ぎるので全く興味がわかないのですけど、民間伝承のような怪異の話には、なぜか不思議とぞくぞくさせられます。

恐らくそれは、かなりデフォルメされ脚色されているとは言っても、少なからず実際にあった事柄や、誰かが少なくとも「体験した」事柄をベースにしているためでしょう。特定の消費者層を意識した創作とは、どこか根本的に違っているところがあると思うのです。

そして、そういった不思議な話よりもさらに好きなのが、不思議の解明を試みるお話。幽霊や妖怪、怪奇現象の類いの正体を探るようなネタには弱いのですよね。そんなわけで寺田寅彦のこの作品は、まさにストライクゾーンのど真ん中でした。

○怪異考
著者:寺田寅彦
初出:1927年(思想)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2344.html

日本に古くから伝わる怪異の正体を、科学的に解明しようと試みた作品。といっても寅彦はあくまで説明を試みているだけで、自分の説をもって怪異の正体を解明したとは考えていません。あくまでそれは仮説ないし小説であると断った上で、古来から伝わる二つの伝承について、登場する怪異の正体を考えます。

最初に彼が取り上げたのは、「孕のジャン」ないし「ジャン」と呼ばれる怪異。これは漁師の間に言い伝えられている怪異で、夜間に漁をしていると、突然「ジャーン」という怪音が海面を一方から他方へと通り過ぎて行く、というものです。この怪異が出ると魚は騒ぎ始め、それまで豊漁だったのが嘘のように不漁になってしまうのだとか。

記録によっては海面にさざ波を伴うというものや、海中に怪光を伴うというバリエーションもあるようです。出現場所は高知の「孕」と呼ばれる地域。歴史上のある期間に頻繁に目撃報告が見られますが、以降はぱったりとその消息が途絶えているのも興味深いところです。

自然現象に造詣の深い方なら、これだけの説明でピンと来るかもしれませんね。多くの方が想像されたであろうとは思いますが、寅彦もまた、その正体は小規模な地震ではないかと考えました。

まず、音が「通り過ぎる」という動きが地鳴りのそれと共通する事、地鳴りも「ジャーン」と聞こえるものがある事、出現地域はちょうど断層の上である事、出現した期間が二つの大地震の間の期間である事、岩石の圧縮破壊には発光を伴う事など、示される事実のどれもが地殻変動を連想させます。それで寅彦は、次のように結論しました。

“おそらくは宝永地震後、安政地震のころへかけて、この地方の地殻に特殊な歪を生じたために、表層岩石の内部に小規模の地すべりを起こし、従って地鳴りの現象を生じていたのが、近年に至ってその歪が調整されてもはや変動を起こさなくなったのではないかという事である。”


次に取り上げられたのは、「頽馬」(たいば)ないし「ギバ」という妖怪です。これは馬を憑き殺す怪異なのだとか。なんでも現れるのは春から夏にかけてのみで、出現場所は一定。憑かれた馬のたてがみは逆立ち、苦しんでぐるぐる回ったかと思うとそのまま倒れて死んでしまうというのです。

また、逆立ったたてがみの間が発光するとか、あるいは光るものがその頭を包み込むとか、死んだ馬の肛門が大きく開いているので怪異は鼻から侵入して肛門へと抜けるのだとか、諸説あるようですね。さらには、馬が苦しみ始めた段階で頭を布で覆ってやると助かるともいわれています。

この怪異は出現する季節、時刻、気象条件および地理条件がかなり限定されていることから、なにがしか気象系の現象であろう事は容易に想像出来ますね。そこで寅彦が着目したのは、空中放電現象でした。出現条件や馬の頭部の発光などの報告されている条件は、確かに放電現象の特徴と合致します。

また、予防措置や対抗措置として布などで馬の体を覆うことは絶縁と解釈出来ますので、それで馬が助かるということにも説明がつきます。さらに、馬は人間より感電に弱いのだそうです。とはいえ、果たして人間が悪影響を受けずに済む程度の放電で馬が死に至るかどうかについては、なお検証の余地があると寅彦は結論しました。

なかなか面白い分析ですし、実際にその可能性が高いのではないでしょうか。あくまで科学的にものを考える寅彦の目には、この説明は根拠が不十分であると写るようですが、よくある「○○の真相」本なら誇らしげに断言しているところでしょう。

それにしても面白いなと思うのは、作中通しての寅彦の態度が、以前NHKのBSでやっていた、「ザ・プレミアム 超常現象」という番組の科学者達の態度と極めて似通っているという事です。彼等もまた、幽霊の存在を肯定せず、しかし見た事は否定せず、「何故人間は幽霊を見るのか」を解明しようとしていました。

寅彦もまた、怪異を肯定せず、しかし怪異に遭遇した事は否定せず、彼等が遭遇したものは何なのかを解明しようとしています。このあくまで客観的で、あくまで事実の分析と検証に拘る態度こそ、本物の科学者の証と言って良いでしょう。こういう視線での超常現象の話ほど、わくわくさせられるものはありません。

つくづく惜しいのは、この話には続きがないという事です。最後に寅彦は機会があればこの話を続けたいと記していますが、残念ながら続きを書く機会はなかったようですね。果たしてそれがどういった事情でなのかは分かりませんが、編集者は随分と惜しい事をしたものだと思います。私が雑誌の編集長だったなら、是非にとせっついてでもシリーズ化した事でしょうに。

化け物の進化

大雪の影響は、まだ解消されていないようですね。さすがに昨日程ではありませんでしたが、今朝も私は渋滞に巻き込まれ、普段よりもだいぶ長いバスの旅をすることになってしまいました。自然の猛威と言えば猛威なのですけれど、やはり関東は雪に対する防御力が低過ぎますね。常々言われていることなのですから、もう少し対策があっても良さそうなものです。

ところで雪といえば、雪女の伝承はやはり豪雪地帯に多いのだそうですね。恐らく吹雪などで迷って凍死する者が多かったので、その理由を妖怪に求めたのでしょう。同時に、吹雪の日には外に出てはいけないという、子供達に対する警句でもあったに違いありません。

そんな感じで日本各地に数多くあった化け物の伝承ですが、近頃はそれを見掛ける事もだいぶ少なくなりました。日本の妖怪やら化け物やらはすっかり駆逐され、希少種になったと言えるかもしれません。しかし、それについての寅彦の解釈は、ちょっと違っているようです。

○化け物の進化
著者:寺田寅彦
初出:1929年(改造)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2346.html

化け物の姿の変遷と、その本質について語った作品。まず話題に上るのは、人類にとっての「化け物」とは何か、という問題です。それは割と一般に認知されている通り、直感的に理解出来ない何か、不思議な何かの象徴。かつて人類は多くの自然現象の原因をこの「化け物」に担わせていました。

しかし現代になり、科学的な知識が深まるにつれ、彼等の版図は縮小を余儀なくされている・・・と、一般には思われているでしょう。しかし寅彦はまず、それについて異議を唱えています。

“自然界の不思議さは原始人類にとっても、二十世紀の科学者にとっても同じくらいに不思議である。その不思議を昔われらの先祖が化け物へ帰納したのを、今の科学者は分子原子電子へ持って行くだけの事である。”

寅彦曰く、科学的証明と迷信への帰納では全く違うとはいえ、どのみち直接見て確認出来ない世界を仮定する事で説明を付けようとしている事には変わりない、というのです。

言い回しが分かりにくいですが、これはつまり、例えば電子が動く様を直接見れはしないのだから、電流が起こす現象が直感的に「不思議」であることには変わりないではないか、ということなのでしょう。そしてその「不思議」こそが、化け物の本質であると。

次に寅彦は、文化を調べる上での化け物の価値について言及します。その姿には当然、それを形作った人々の文化が色濃く反映されている訳ですから、それらは充分に興味深い研究対象であるというわけですね。しかし当時は科学を必要以上に崇拝する傾向が強かったようで、化け物の研究なんて肩身が狭くてできそうにない雰囲気だったようです。

寅彦は、そうして必要以上に買いかぶられた科学が人々に「あたりまえ」という感覚を植え付け、化け物を駆逐すると同時に物事の不思議を感じる力をも奪ってしまった事を嘆きます。大衆は聞きかじっただけの知識を受け売りし、本当は不思議を感じ得る現象を前に、「あたりまえ」の一言で済ませてしまう。これは良くないというのです。それは子供達に芽生えるべき科学の芽を摘み取る事にほかならない、と。

これは、以前からしばしば指摘されている教育上の問題点でもありますね。「なぜだろう」「なんでかな」という思考をさせるべきだ、「不思議だな」と思うことが大事だというのは、聞き飽きるくらいに指摘されてきた事柄です。にもかかわらず、ただ与えられた知識を字引のように引き出すだけの子供達が、相変わらず量産されているようですね。

それが必要だと分かってはいるのに、どうしてそのように教育出来ないのでしょうか。恐らくその理由は、次の寅彦の言葉に示されている通りでしょう。

“法律の条文を暗記させるように教え込むべきものではなくて、自然の不思議への憧憬を吹き込む事が第一義ではあるまいか。これには教育者自身が常にこの不思議を体験している事が必要である。既得の知識を繰り返して受け売りするだけでは不十分である。”

要するに、教えている側がお受験のためにお勉強して良い成績を取っただけのお利口さんに過ぎないから駄目なのです。寅彦はそんな彼等の教育を、宗教心のない人間の説法に喩えました。なんとも的確で、同時に皮肉な表現ですね。そして何より皮肉なのは、これは70年以上も前に書かれた書物だというのに、その内容がそのまま現代にも当てはまるという事です。

こうしてみると、日本って進歩しているようで進歩していないのだなぁとつくづく。表層は随分と豪華になりましたが、根っこの方に巣食った病巣は放置され続けてきたようで。少なくとも現在、大衆にとっての科学とは寅彦の指摘した通りのもの、即ち化け物に替わる迷信に過ぎないというのは間違いなさそうです。



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