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日々の便り

 

点頭録

私は本の紹介をする時は、必ず一度読み返すことにしています。なにしろ読んでいる数が多いものですから、あまり記憶に頼って書くと、色々ごちゃまぜになってしまいますので。それでも登場人物の名前を間違えたりすることはしばしばあるのですけれどね。

とはいえ、小説ならば斜め読みで内容を把握出来るものの、それが論文となるとちょっとそういう訳にもいきません。漱石の場合、身の上話以外の随筆や演説筆記は大体の場合において論文的なので、これを読み直すのはなかなか骨が折れます。特にこの作品は、徒然と語っている割に要点が多く、どうしたら簡単にご紹介出来るだろうかとたいへん頭を痛めました。

主に歯医者の待ち時間に都合二回程通して読んでみましたが、やはり頭の中で構想がまとまらないのですよね。省いて良いところが見当たらないというか、なんというか。そんな訳で、とりあえず勢いに任せて書いてみようと思います。

○点頭録
著者:夏目漱石
初出:1916年(朝日新聞)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card4672.html
※リンクは青空文庫です。

主に第一次世界大戦の思想的側面からの評価を綴った、漱石晩年の作品。内容は専ら世界大戦のお話ですが、冒頭の一回のみは別。どうやらこの頃の漱石はより一層生死を意識することが多くなったようで、「生きている」ということに対する彼独特の思索が初回に纏められています。連載は9回のみで、漱石の健康悪化が原因で中断されたとか。ちなみに漱石が亡くなったのは、この年の12月のことでした。

二回目以降の内容は、第一次世界大戦についての漱石の論評です。といっても漱石は軍事評論家でも歴史家でもありませんから、そういった物理的ないし社会的、あるいは経済的な側面からの論評は行いません。彼の戦争に対する見方は強いて言うならば哲学的なものでした。二回目から始まる「軍国主義」という章の冒頭で、漱石は次のような印象的な言葉を語っています。

"戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵斯んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其仕懸の空前に大袈裟な丈に、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として却て思ひ出させる丈である。"

戦争騒ぎで頭に血が上っていた人々は、この台詞をどんな風に読んだのでしょうね。恐らく彼がこんな随筆を書く気になったのは、誰かの依頼があったからか、あるいは周囲の馬鹿騒ぎに対して思うところがあったからか、どちらかでしょう。「あくまで書きたいように書く」という条件を新聞社に飲ませた上で入社しているため、ご意見無用を通せる立場にあった漱石の事です。どちらの場合でも、こういう内容になるのはほぼ必然でした。

漱石はこの戦争におけるドイツの行動を、「軍国主義の発現」と捕らえた上で、その軍国主義がどのくらいイギリスやフランスにおける個人の自由を破壊し得るのか、ということに注目したようです。そうした視点で成り行きを観察した漱石は、どうやら思想的には連合国側が既に敗北しているようだと結論しました。

というのも、あれほど自由を重んじた筈の連合国側において、国家が自由を踏みにじることの象徴とまで見なされた徴兵が、あろうことか圧倒的多数の賛成を得て始まってしまったからです。不幸な事に、第二次世界大戦へと連なる世界の歴史が、次の漱石の言葉の正しさを裏付けてしまいました。

"すると勝負の上に於て、所謂軍国主義なるものゝ価値は、もう大分世界各国に認められたと云はなければならない。さうして向後独逸が成功を収めれば収める程、此価値は漸々高まる丈である。"

同時に漱石は、この大戦後の世界が軍国主義の影響を強く受けて行く事を予測し、その影響を超越する事はできないとまで述べました。この漱石の分析が正しかった事、そしてその結果として世界に何が起きたかは、皆さんもご存知の通りです。

漱石はまたこの時点で、列強間での平和というのは所謂冷戦のようなものに他ならないと説いています。力の平衡による危うい平和という概念は冷戦後の世界でこそ一般的ですが、国家間に真の平和が存在し得るという幻想を世界が信じていた頃の人間の発言としてはあまりに現代的で、約100年前の人物の言葉とは思えませんね。

こういうと漱石は軍国主義の支持者であったかのように思われるかも知れませんが、決してそういうわけではありませんでした。むしろ逆で、彼としては自由主義に勝利してもらいたかったようです。しかし、そういった願望による色眼鏡無しで世界を見る事の出来る彼は、冷たい現実から目を逸らす訳にはいかなかったのでしょう。

さて、当時の思想界ではドイツとニーチェを結びつけて考えるのが流行していたようですね。特に欧州のメディアは、さかんにニーチェの影響を説いていたようで、その方面の本も多数著されたようです。しかし、漱石が注目したのはニーチェではなく、トライチケでした。但し、ここでも漱石の冷めた目は思想界や大衆とは別のものを見ていたようです。

"思想は又何所迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら/\に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。"

というわけで、この戦争はトライチケの思想のとおりのものであるけれども、だからといってトライチケの思想の影響でこの戦争が始まった、などということは有り得ないというのが漱石の考えでした。実際のところ、社会と哲学者の関係というのは大抵の場合、上の漱石の言う通りなのです。社会が動くのは、そうすることが力のある誰かの利益になる時だけ。その結果が思想と一致したからと言って、思想が社会を動かした事にはなりません。

何かと言うと世界の動きを哲学界の御陰にしたがる傾向がメディアには見られますが、しかし世界はもっと冷淡で冷血でした。それは、そういった色眼鏡で脚色した「歴史」ではない、事実の記録を見れば一目瞭然です。しかし、大衆もメディアも、そうした歴史観は好まないもの。それは現代でも変わりません。

漱石の事を単なる天の邪鬼として片付けたがる人々は、恐らくこういった彼の態度を良く思わない人々の作り上げた虚像を見て居るのでしょう。あるいは、その虚像が彼等にとっても都合が良いのかも知れません。しかし、漱石は何の理由も無く世間に逆らっていた訳ではないのです。それどころか、当時としてはあまり見られない鋭く現代的な分析を行う事が出来る、実に頭の切れる人でした。

この作品は、そんな切れ者としての漱石の姿を知る事が出来る、貴重な資料だと思います。
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