FC2ブログ

日々の便り

 

硝子戸の中

病人というのは実に閑なものですね。基本的に何かに集中することが苦手になるので、これといってできることがないのです。そうは言ってもずっと昏睡している訳ではありませんから、やはり退屈は感じるのですよね。そこで暇つぶしを探す訳ですが、音が頭に響くので映像系は無理。となりますと、古来からの由緒正しい病人の暇つぶし、読書くらいしかないわけです。

活字の良いところは、どこから始めてどこで止めても全く構わない、ということ。ほんの五分だけ本を開いて、疲れたら眠る・・・というようなことを繰り返しても、全く問題ないのです。まぁ、それは読む本の種類にもよるかもしれませんが、少なくとも随筆の類いならそういう読み方で構わないのではないでしょうか。

ところで随筆と言えば、漱石の随筆はもう全部ご紹介したものとばかり思っていたのですけれど、調べてみたところ、読んだものがまだ何本も残っていたようです。というわけで今日は、この作品をご紹介したいと思います。

○硝子戸の中
著者:夏目漱石
初出:1915年(朝日新聞)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card760.html
※リンクは青空文庫です

風邪で体調を崩して徒然と過ごしていた漱石が、何か書いてみるようにとの要請に応えて筆を執った、徒然とした内容の小品集。初回で漱石は体調を崩して以来の近況を書き、すっかり世間に疎いまま筆を執るため、忙しい人々の求めるようなものは書けない事を詫びています。

しかし私にいわせると、そういう忙しない毎日だからこそ、こういう文章が必要なのではないかと思うのですよね。刺激的な事件記事にしか興味のない人も少なからずいたでしょうが、しかしこの作品を喜んだ人もまた、少なからず居たのではないでしょうか。

第二回からは、彼の身の回りの出来事をテンポ良く綴っています。まずは雑誌関連の写真家のお話。漱石は笑わずに写真を撮った筈なのに、後日届いたサンプルはなにやら気味の悪い苦笑をしていた、というものです。写真を加工するのは近年の流行かとばかり思っていましたが、どうやらPhotoshopなどない大昔から、大胆な加工が行われていたようですね。そういえば確か、「野分」の中にも、写真加工についての言及がありましたっけ。

三回目から五回目までは、犬のヘクトーのお話。漱石の家では、猫の後で犬を飼っていました。このヘクトーについては別の作品の中でも言及がありますが、この三回で、彼が漱石の家にやって来てから死ぬまでのことをざっと紹介しています。ヘクトーの晩年の出来事はなんとなく猫のそれに似ていますね。といってもビールに酔って溺れ死んだ彼ではなく、実際に漱石宅に居た猫の方のことですが。

六回目から八回目までは、漱石のところへ身の上話を持ち込んだある女性のお話。具体的な事は描かれていませんが、どうやら漱石宅には時折こんな風に、自分の事を本にしてくれと話を持ちかける人が居たようです。漱石の作品のうち、「坑夫」はこういった類いの実話を背景を持つ作品だといわれていますね。

九回目と十回目は旧友のお話。樺太で校長をしている「O」というのは、太田達人氏のことではないかと思いますが、どうでしょう。横手中学校長を務めた漱石の友人で「O」というと、この方の事ではないかと思うのですが。

十一回目からは、漱石宅に押し寄せる迷惑な郵便や訪問者のお話。十四回目は昔話で、十五回目は講演の御礼の話。そして十六回目と十七回目は、床屋のお話です。この床屋のエピソードはどこかで見た覚えがあるのですよね、恐らく別の随筆にも出て来たのではないかと思いますし、また「夢十夜」に登場したあの床屋を思い出します。

十八回目はまたしても奇妙な訪問者の話。そして十九回目から二十一回目までは、漱石のかつての自宅周辺のお話です。漱石の昔話と言えばやはり他の作品にも登場していますが、彼がまだ子供だった頃の暮らしぶりを詳しく描いている作品は少なく、特に二十一回目の芝居見物の話は明治初期の市民生活の資料としても興味深いですね。

以降もそんな感じで近況やら昔話やらが散りばめられて行くのですが、漱石の母親や兄弟、家に出入りしていた人物や下女の事が詳しく描かれているため、漱石が好きな方はこの十九回以降は必読だと思います。兄の話は「道草」はじめ、幾つかの作品の登場人物と通じるところがありますし、二十九回に登場する下女は、もしかしたら「坊っちゃん」に登場する清のモデルなのではないでしょうか。

結びの第三十九回では、ある暖かい日の出来事を交えて、これまで綴って来た作品を総括します。寒々しい冬の景色に始まり、なにかと難しい話題の多かったこの作品集ですが、最後はうららかな雰囲気に。恐らく次の結びは、冒頭の風景描写を念頭に置いての対比だったのでしょうね。

“家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。”

漱石の作品を読み返すのは久しぶりですが、やはりなんとも良いものですね。文体としては寺田寅彦の方がずっと整っていると思うのですが、漱石の文章には漱石にしかない古雅な雰囲気があるのです。昔話が多いというのもあるのでしょうけれど、動きがあるのに静かなのですよね。そして、色彩豊かなのにどこかセピア色なのです。

この作品はそんな漱石らしさを存分に楽しめると同時に、彼の色々な作品に登場する人物やエピソードに繋がる逸話を読む事が出来ます。彼の創作の背景になったであろう彼の身の上話を知る事が出来るという意味でも、実に興味深い作品。漱石が好きな方には、是非一度読んで頂きたい一冊です。

関連記事

Comments
 ヘクトー
「硝子戸の中」第二回の加工疑惑のある写真の件は、大正3年12月上旬のことでした。新潮社の写真師が二枚撮影しました。一枚は、御紹介のあった、修正疑惑のある漱石の書斎での姿でした。もう一枚は庭で撮影され、長男純一と次男伸六も呼び出されて一緒に写っています。これが、奇しくも、兄弟が父漱石と一緒に写った唯一の写真になりました。

この写真の漱石も、笑うどころか、不機嫌そうです。写真師がしつこく笑を強要したためですが、実は、第三回以下に登場するヘクトーが亡くなって、わずか1か月余りの時期の撮影でした。ヘクトーを飼い始めた切っ掛けが、家庭内の重大事件(五女雛子の突然の死)であったことを考えると、漱石は、充分な世話も出来ないうちに、若くして病で死んだヘクトーにも、雛子同様に哀愁を感じていたようです。

庭で撮影された漱石の表情には、写真師に対する不快感と、五女やヘクトーを亡くした斬鬼の表情が重なって出ていたのではないかと思われます。一見、唐突な話題のように見える第二回は、第三回以下のヘクトーの記事と深く関係しているようです。

今年はヘクトー没後100年ですが、
最近の調査から御紹介させて頂きました。

『ヘクトー ー夏目漱石と最後に暮らした犬ー』
http://www.mystorybook.jp/products/detail.php?product_id=2089
 Re: ヘクトー
貴重な情報を有り難うございます。なるほど、唐突なようでそうではなかったのですね。
猫については名前も付けずに放置していた漱石が、ヘクトーには立派な名前を与えたのにも、もしかしたらそういう経緯があったのかも知れませんね。実は犬派だったのでは、なんて言う方もあるようですが、なんだかそちらの方が説得力がある気がします。
ご紹介頂いた記事も、これから読ませて頂きます。コメントを有り難うございました。

Body
プロフィール

circias

Author:circias
FC2ブログへようこそ!

Counter
カレンダー
07 | 2020/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
検索フォーム
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム
タグクラウド

タグ一覧

E-PL5 OLYMPUS PEN 単焦点レンズ ズームレンズ 25mm 随筆 F1.8 寺田寅彦 高尾山  レコード LP 75-300mm 夏目漱石 60mm 40-150mm 野鳥 オーディオ  DIY マクロレンズ JAZZ 堀口珈琲 ELEKIT 野川 17mm 小説 シティロースト TU-8150 アートブレイキー MU-61 紅葉 青梅 次大夫堀公園 修理 接写リング AriaPro ブレンド 小仏城山 開花情報 御岳渓谷 PB-400 CD 写真 神代植物公園 御岳山 実写テスト 東京 300mm トンボ ライトノベル 景信山 古民家 JAZZ/FUSION ロック 開花状況 神代植物園 クラシック カートリッジ 多摩川 マイケル・サンデル TU-877 センテッドゼラニウム 森見登美彦 哲学 シモバシラ 故障 バラフェスタ e-onkyo コロンビア  ラリー・カールトン 深大寺 骨董市 鳩ノ巣渓谷 ハイレゾ音源 6号路 3結 岡本公園民家園 TU-H82 東宝撮影所 野川公園 OPA2134PA  奥高尾 上野 JPOP エリック・クラプトン 小仏峠 もみじ台 東日本大震災 江戸東京たてもの園 ハイロースト  調布 つくる市 ニューイヤーコンサート 仙川 水生植物園 ハクセキレイ リー・モーガン 布多天神社 レコード洗浄 ニカラグア ミツバチ 砧公園 フレンチロースト HDD 2015 これからの正義の話をしよう 東照宮 大蔵住宅 東京国立博物館 90MB/s SHURE メッキ ツマグロヒョウモン SDカード 速度比較 Class10 M97xE UHS-I アオジ KT88 細田屋 武蔵野公園 カワウ 整備工事 縦走路 オジロトウネン GoldLion 一丁平 ピックガード カワセミ モズ アニメ 磨き iPhone ペグ 調布飛行場 バド・パウエル 蘆花恒春園 クイナ Transcend コゲラ ストームグラス テンポドロップ TempoDrop 根津美術館 表参道 2017 正月特別開園 Eagles FF15XmkII 植物多様性センター オーディオテクニカ 白丸ダム 工事 Apple 天地明察 発芽実験 冲方丁 BUMP LM4562NA 水耕栽培 アボカド MUSES02 ダイミョウセセリ 回転数不良 井の頭自然文化園 布多天神 国産 A'pis 彼岸花 NF-15X/2 アゲハ 分解 かき氷 スミナガシ FUSION DENON 大雪 クロヒカゲ ウェザーリポート 浜離宮 ツクツクボウシ ジフィーポット ミンミンゼミ コミスジ ボリューム アブラゼミ 中仕切り 低速病 WD10EADS ジョウビタキ イチモンジセセリ ZO-3 大森藤ノ 白鳥士郎 被害 デジタルテレコンバータ オジロビタキ シジュウカラ RAW 3.11 絶滅危惧種 ベルグソン テングチョウ ツグミ 天災 翻訳 フレディ・ハバード M2Tech アレニウス・スヴァンテ 橙乃ままれ インドネシア ログ・ホライズン hiFace アキアカネ 書簡集 レコードスタビライザ ウラナミアカシジミ 鈴木三重吉 コルディリネ エディ・ヒギンス 小箱とたん シジミチョウ 鬼灯市 ヒグラシ 羽化 ドラゴンフルーツ バルトーク JET 村井秀清 ケニヤ セセリ OPAMP ヘッドホンアンプ 竜ノ湖太郎 電子工作 ケース NT-500M NAGAOKA ER-4S 震災 和屋東京店 森山良子 フルシティロースト iBooks 葦原大介 イタリアンロースト スズメバチ 鍍金 地雷 ジャコ・パストリアス クロマチックハーモニカ レーベル 榊一郎 AT-MONO3/LP 吉祥寺 秦基博 ハービー・ハンコック 初詣 フラックス 霜除け MCON-P01 オリンパス マクロコンバータ パナマ グアテマラ モンキアゲハ 幼虫 高浜虚子 世田谷ボロ市 通り名報道 ニイニイゼミ ヒメアカタテハ アカスジカメムシ コムラサキ キアゲハ OSX アカボシゴマダラ 豆知識 OSX10.9 ヒカゲチョウ ElectroHarmonix 草市 Weekender TIMEX 茶谷産業 ラジオメーター 平和ボケ 電池切れ タフソーラー CASIO G-SHOCK AWG-100BR-1AJF CTL1025 人道主義 ZIPPO Focusrite Scarlett Solo オーディオインターフェース 奥多摩 日原鍾乳洞 ハンディウォーマー ハクキンカイロ 紙の博物館 野草 植物 スナップショットフォーカス JJ 改造 ペンケース 文房具 12AU7 WD20EZRZ イチモンジチョウ アカシジミ スジグロチャバネセセリ キタキチョウ デルガード クルトガ MERCURY ミニバケツ ペン立て 発泡PPシート ハンディクリーナー ダイソン シャープペン Dyson V6 Trigger UL接続 5極管接続 Spirit Steinberger GT-PRO イケベ楽器 リボレ秋葉原店 ST-550 仕上げ 工作材 ピックアップ コントロール サドル調整 NHK 芥川龍之介 コンデンサ 小池 都知事 コロナ C203 C103 上海 TU-HP03 AMCY-104/630 GoldenBlack 木栓 ミニカッティングソウ 台風18号 放鷹術 REGZA RD-BZ800 6V6S MUSES8820D NJM4580D OP275GP LME49720NA MUSES8920D 皆既月食 魚道 防錆 プロクソン PROXXON No.28151 ラッカー 塗装 親族トラブル ピアノの森 組立て 指板 ヤマカガシ  SanDisk 95MB/s AU-305 階段途中のビッグ・ノイズ 亀屋樹 TOSHIBA 30MB/s デクスター・ゴードン 瀬那和章 DL-103 アベノマスク 越谷オサム 軍畑 古橋秀之 自然現象 セグロセキレイ うみまち鉄道運行記 3号路 天体 軍畑大橋 ついんくる 花火 挿し木 シチズン Q&Q 先生と僕 香日ゆら タンザニア 電源回路 注油 モーター 蟲師 大沢グランド 寝落ち 回転数 KENKO 上野公園 リキュール キアシドクガ 桜の蛾 腕時計 カクテル 電気ブラン 栄西 花園稲荷神社 アントニイ・バークリー 取木 伊佐良紫築 戸部淑 世田谷 大沢 アオモンイトトンボ マンデリン オオスズメバチ ヒオドシチョウ 城山 三月 似鳥鶏 青藍病治療マニュアル 稲荷山 iPhone4s iOS8.3 土地 建築基準法 地上げ 不動産屋 富士山 夕陽 不具合 再起動 充電中 アサギマダラ 志田用太朗 レコードプレーヤ グレン・グールド タシギ ゴイサギ 幼鳥 ゴールドベルク変奏曲 バッハ KeG 鷹見一幸 ヤマガラ コーヒー カワラヒワ スズメ キタテハ フレディ・ハーバード ペルー PIONEER 平和フレイズ 真空断熱食器 城山茶屋 甘酒 J-POP 星野源 東宝 


12345678910111213141516171819202122232425262728293031 08