日々の便り

 

娯楽作品とその感想に見る平和ボケ

夏目漱石はその作品「点頭録」の中に、こんな一文を残しています。

“実際欧洲の思想家や学者はそれ程実社会を動かしてゐるのだらうか。”
抜粋:: 夏目漱石. “点頭録”


これは第一次世界大戦と、当時しきりに話題に上っていたある思想との関連性について、論じた回に登場する一文。漱石は、世間が持て囃している程思想は戦争に影響しておらず、政治はあくまで政治であって、別の力学で動作しているものを、メディアやら学者やらが思想家とそれらをくっつけたがっているだけである、と指摘しました。

しかし誠に残念ながら、大衆とメディアの夢見がちな思考は、100年前から何も変わってはいません。当時もそうであったように、現代においてもメディアは思想と政治のこじつけが大好きです。ことに、戦争と平和という命題においてはその傾向が顕著であると言えるでしょう。分かり易い事例を挙げるなら、ベトナム戦争を反戦運動が終わらせた、などという主張がそれですね。

こういうことを言いたがる人々にとっては、戦争中の「美談」も、格好の燃料となるようです。曰く、人と人とは分かり合えるのだ、対話によって争いは解決出来るのだと。なるほど、確かにその通りではありますし、それが理想ではありましょう。しかしながら、その主張が通用するのは個人間での諍いまでなのです。

歴史的事実、それもメディアが書きたがらないデータとしての側面から見た戦争が終わるための条件には、面白みも暖かみも何もありません。それは極めて冷酷な、力と利益の計算の世界です。そもそも戦争はなぜ起こるのか、その始まりに目を向けるなら、どうしてそういう結末になるのかも自ずと理解出来るでしょう。戦争の種類は、大きく分けて二種類です。

1)領土、貿易など、経済的権益に端を発する戦争
2)思想信条に端を発する戦争

言い換えるなら、こうも表現出来ます。

1)殺傷行為以外に目的がある戦争
2)殺傷行為そのものが目的の戦争

まず大半の戦争は1)であるといって間違いありません。いえ、全てと言っても良いでしょう。しかし、実質的に権益のための戦争であっても名目上2)とされる戦争もあり、そしてこの種の戦争はその性質上、1)よりもさらに面倒な結果を招きます。

国家の利益を確保する戦争の場合、いずれかの当事者にとって戦争が「どうしても割にあわない」状況になった時、戦争が終わると言って良いでしょう。敗者の完全敗北であれ形式上の停戦であれ、これには必ず実質的な勝者と敗者が生まれます。敗者は損失を最小化しようと交渉し、勝者は利益を最大化しようと交渉しますから、軍事的に明白な勝敗がついた後でさえ、交渉による停戦ないし終戦は非常に困難な作業となります。

まず停戦交渉を先に言い出した側が、交渉の席では不利になります。ですから、不利な側から停戦交渉を持ちかける事はできません。有利な側から申し出る場合、それは降伏勧告になりますが、当然不利な側はそれに直接応じる事はできません。応じてしまえばその後の交渉で、圧倒的な不利になりますから。近現代の武力衝突において、当事者が調停者を第三勢力に頼む理由は、まずここにあります。

表向き利害のない第三勢力が仲介をし、双方がその第三勢力の顔を立てるという名目のもと、スタートラインを揃えて交渉のテーブルにつけるというわけですね。近現代における現実世界の戦争は、このタイプの終結方法がほとんどです。実質はどうあれ、どちらの政府も「自分たちは負けていない」と主張出来るため、政治的にも選択し易い方法ですね。

この事から、「思想」や「世論」が戦争終結に影響を及ぼし得ない事が御分かり頂けたと思います。仮にそれに応じる形で自分から停戦を申し出てしまった場合、それは国家に重大な損失をもたらしかねないのですから。もっとも、そうなったら「世論」は無責任に掌を返すのでしょうけれど。


さて、戦争が2)のタイプである場合、状況はさらに絶望的です。近年で言えば、ISの仕掛けた武力闘争がそれ、名目上の宗教戦争にあたると言えるでしょう。あれも実際には実に生臭い実利的な闘争なのですが、しかし表向きは宗教を理由にしており、その目的は異教徒の殲滅であると公言して憚りません。この場合、指導部はともかく末端では、戦闘行為そのものが戦争の目的になります。

このタイプの戦争では、通常の紛争とは異なり、一方的な加害者と完全な被害者という関係性が生まれます。その上、主に民族の誇りだの宗教だのと言った、実体のない虚構が加害側の理由付けになるため、加害側は「交渉」も「敗北」も許されません。例えば、民族Aは悪魔の子らである、故に殲滅し浄化するのが神の敬虔なる信徒の務めである・・・などという戯れ言を大義名分にした場合、停戦した途端に国民は丸ごと背教者になってしまいます。

しかもこういった戦争の場合、加害側の戦闘員や市民が自らの罪を自覚している事も問題です。決して当人は認めませんが、それでも加害者であることを意識しているからこそ、虚構の大義名分が必要になるのですね。殊更に神の名を掲げたり叫んだりする行為などは、その最たるものです。なのに、停戦や敗戦をしてしまったら、彼等は自らの罪を認めざるを得なくなります。そもそも民族や宗教に縋るような理性の弱い人間にとって、それは不可能な選択なのです。

つまりこういった闘争の場合、加害側か被害側のいずれかが、軍事的に完全に屈服させられるまでは戦争が終わりません。そして、仮に加害側の敗北で戦争自体が終わったとしても、それを認める事が出来ない加害者達のテロリズムという形で戦いは続くのです。いずれにしても、そこに「思想」やら「世論」が入り込む余地など、ほぼ無いことは御分かり頂けるでしょう。

ところで、娯楽作品で描かれる戦争のうち、より多いものはどちらでしょうか。所謂「文学」や「児童文学」に分類される程度に高度な作品においては専ら1)の権益の戦争なのですが、数において圧倒的多数を占めるその他においては2)であるようです。そうした作品を理に適った展開で描くなら、ひたすら泥沼の戦争に突入するなり、一方的に加害側を殲滅し尽くすなりする以外、戦争の終結方法は有り得ないことは、前述の通りです。

ところが、こういった作品には時折、夢見がちなヒューマニズムが持ち込まれるのですよね。例えば主人公達の善行がきっかけで、両勢力に和解の気運が生まれてしまったり。特に、敵を助けるような「美談」は、ヒューマニストの皆様には大変評判が宜しいようで。

実際のところ、現実にある戦争でも稀に「美談」が生まれる事は、ある意味私達にとって慰めと言えるかもしれません。しかし、欲目無しで現実を直視するならば、「美談」が効力を持つのは戦争が決着した後であって、戦争中ではない事を認めないわけにはいかないでしょう。そういった美談は戦後、充分にほとぼりが冷めてから、メディアによって充分に脚色された形で伝えられるからこそ美談になるのであって、戦時下では厳しく糾弾される行為なのですよ。

また、仮にひとつや二つの善行が現場で確認されたとして、それ自体が戦争全体に影響を与える事はありません。特に、どちらか一方であれ双方であれ、指導部が戦争続行を望んでいるのなら、無視されるか握りつぶされるのが普通です。最も救われる対応だったとしても、戦後の融和政策のためのカードとして記録に留められて終わりでしょう。しかも、それがあり得るのは1)の戦争の場合であって、2)の戦争では有り得ません。

にも拘らず、こういった夢見がちな主張を大真面目に語る人が、意外と多いのですよね。殲滅戦争の加害者を助けたら対話が始まる筈とか、一体どれだけ夢見がちなのでしょう。そもそも、「殺す事が目的で殺している」殺人鬼に刃物を突きつけられた状態で、説得をする暇があるとでも思っているのでしょうか。彼等の主張は、駅を通過する急行列車の前に飛び出して、運転士に対して轢かないで欲しいと交渉を試みろと言っているようなものです。

しかも甚だしい者に至っては、「相手と同じレベルに落ちないためには、善行を積んでみせる必要が云々」などと道徳論を説き始める始末。そもそも命の取り合いをしている現場で、味方の命を代償に支払ってまで加害者を助ける事を正義であるとまで仰るとは、なんとも見上げた人道主義もあったものです。ところでその主人公は、一体何の権利があって被害者側の誰かの命を実質的に奪うのでしょうね。しかも、よりによって加害者のために。

こういった行き過ぎた独善的な「人道主義」の背景には、作者や読者の自己陶酔があります。彼等は、「命は皆平等」という言葉の意味を考えもせず、ただ目の前に見えているものがその言葉をなぞる事だけに満足感を覚えているのですね。なるほど、加害者に慈悲をかける事は確かに立派に見えます。そこだけを見るならば。しかし、そのために無辜の第三者の生命や財産を奪うのならば、果たしてそれは善行でしょうか?

恐らくこういった独善的で自己陶酔的な「人道主義」が横行する原因には、日本という国の平和さがあるのでしょう。一般市民は通常、自らの命や他者の命について、危機を感じる事はありません。従って、大抵の物事を「安全地帯に居るつもりで」考えてしまうのです。もっと言うならば、テレビを見ている感覚で物を言う、とでも言いましょうか。

安全な場所から見ている他人事だからこそ、犠牲になる第三者の事など目に入らないし、目に入っている主人公の行動が「善行」に見える事を何よりも重視します。そして、周囲への影響や主人公の責任など考えようともしません。ともすれば、そんなものは目の前の「善行」に比べたら無価値なものであるとまで言い放てるのです。

恐ろしい事に、こういった思考をする人々は虚構の世界だけでなく、現実の世界の事柄に対しても同様に考えるのです。例えば、凶悪犯に発砲した警官を非難してみたり。その急先鋒が既成メディアであり、その熱烈な支持者達であることは言うまでもありません。

結局のところ、多くの日本人が独善的な「人道主義」が大好きなのは、つまりそれでも問題なく生きて行ける平和な社会だからであり、そこに蔓延った自己陶酔的正義を振りかざすメディアの主張にすっかり染まっているから、と言って良いのではないでしょうか。もちろん、耳に快いからと言ってそんな戯れ言に陶酔する本人の無思考と無自覚な利己主義もまた、大いに糾弾されてしかるべきではありましょうが。

娯楽作品とその周囲に溢れる独善的人道主義と、それに陶酔する人々をみるにつけ、薄ら寒いものを感じずにはいられない今日この頃です。

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